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日本古来の儀礼「殯(もがり)」とは? 上皇様が殯(もがり)を望まない理由
殯(もがり)は遺体を長期間仮安置する葬送
殯とは、死後すぐに葬儀や埋葬を行わずに、遺体を長期間仮安置する日本古来の葬制です。
すぐに葬儀や埋葬を行わないのは、故人の復活を願いつつも、遺体が腐敗し白骨化していく様子を見守ることで緩やかに死を受け入れていくことや、死者の祟りを畏れ(おそれ)霊魂を慰めることが目的です。
かつては位の高い貴族や皇族が亡くなると、殯が行われていたようです。身分が高い人ほど、殯の期間も長く、もっとも長い殯は天武天皇の2年2か月という記録が残っています。
現在、日本の火葬率は99%で、長期間の殯の代わりに1日程度のお通夜をするのが一般的です。
殯の風習を初めて知る方も多いと思いますが、実は現代も殯の風習は皇族に残っています。
この記事では、殯の歴史や地域ごとの特徴、皇室の殯の儀礼などについて解説していきます。
殯(もがり)の歴史
殯は「喪(も)上がり」が変化したと言葉と言われています。
死者の復活と魂の鎮魂を願い一定期間儀式を執り行うことで、死者に心置きなく旅立ってもらい、自分たちも現世の暮らしに戻る。その意味では、現代の喪が明けることに共通しています。
殯の歴史は古く、魏志倭人伝や日本書紀、古事記、万葉集にも、殯やそれに準ずる葬制を行っていたとわかる記録が残っています。
殯(もがり)の実際
殯の具体的な内容については、あまり記録が残っていません。死者を入れた棺を安置するための喪屋を建てて、そこに棺を安置していたことはわかっています。
喪屋には遺族や親族をはじめ関係者が集まり、復活を願って24時間体制で遺体を見守り、悲しみを表す演舞が行われることもあったようです。
庶民も殯(もがり)を行っていた
殯の風習は皇族や貴族から、一般庶民にも広がっていったと言われています。しかし、皇族や貴族の殯と同じように、長期間行われていたかは定かではありません。
喪屋を建て、殯を長期間執り行うための人手を確保し、賄いを用意するためには、それなりの財力が必要です。そのため庶民の殯はもっと簡素に行わていたと思われます。
大化の改新で、身分による墳墓の規模をなどを制限した薄葬令(はくそうれい)が出されたことや、仏教伝来と共に火葬が伝わり普及したこともあって、それ以降は殯の風習は減退していきました。
沖縄・奄美諸島の殯(もがり)
奄美諸島や沖縄では1970年代くらいまで風葬や洗骨葬という、殯を連想させる葬制が行われていました。
死者は人里離れた断崖や洞窟に安置され、数年かけて自然に風化させた後に、骨を泡盛や海水などで洗う洗骨が行われていました。
喪屋として、風葬用の小屋が建てられた地域もありました。
これらの地域では、死者は穢れた存在とされいて、神仏の前に出るためには、骨を洗い清める洗骨が必要でした。
風葬が殯にあたり、洗骨葬を経て正式に遺骨を埋葬していたのです。
殯(もがり)の風習が残る地域
青森には、1.5メートルほどの長さの2本の木を交差させてバツ印を作り、忌中の家の前に飾る風習があり、これを「もがり」と呼んでいます。
本来の殯の風習とは異なりますが、殯が形を変えて現代に残ったものと想像できます。
殯(もがり)と皇室
現在、殯を行うのは、皇室関係者が亡くなった時だけです。
天皇、上皇、皇后、皇太后、上皇后などが崩御すると、大喪儀(たいそうぎ)という皇室の儀式が行われます。この大喪儀は日程ごとに儀礼が細かく定められていて、これが殯にあたります。
大喪儀では皇居内に殯宮(もがりのみや・ひんきゅう)という、御殿を建て本葬まで棺を安置します。
ちなみに、天皇または上皇の本葬は国葬にあたる大喪の礼(たいそうのれい)、皇后、上皇后の本葬は斂葬の儀(れんそうのぎ)と言います。
大喪儀は45日間行われ、その間は連日にわたり儀式が続きます。
昭和天皇の崩御の際の殯(もがり)
戦後、殯が行われたのは、昭和天皇、貞明皇后、香淳皇后の崩御の際です。
昭和天皇は1月7日に崩御されましたが、葬儀にあたる大喪の礼が行われたのは2月24日。つまり、約50日にわたり殯が行われたのです。
大喪儀は以下のような流れで、崩御から48日間行われました。
- 櫬殿祗候(しんでんしこう)
- 仮通夜にあたる儀式。
- 昭和天皇の遺体を吹上御所に14日間仮安置。この間、皇族と旧皇族の親族が24時間体制で遺体に付き添う。
- 殯宮祗候(ひんきゅうしこう)
- 一般の通夜にあたる儀式。
- 殯宮に遺体を移送し、政治家や日本に駐在する外交使節団、経済人などからの礼拝を受ける。
- 皇族はこの間もお供え物を欠かさず、宮内庁職員や政治家などが交代で遺体に付き添う。
- 殯宮二十日の儀、殯宮三十日の儀、殯宮四十日の儀などが続く。
- 大喪の礼(たいそうのれい)
- 本葬にあたる儀式。
上皇様が殯(もがり)に言及した理由
2016年、平成天皇は国民にビデオメッセージで自身の生前退位についてお言葉を述べられました。
その中で、これまでの皇室のしきたりとしての殯についても言及されたことで、殯への注目が高まりました。
実際のお言葉は、次の通りです。
天皇の終焉に当たっては、重い殯もがりの行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き、その後喪儀そうぎに関連する行事が、1年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。 |
ご自身の父である昭和天皇の殯で、誰よりも厳しい状況下に置かれたご経験のある上皇陛下。
殯の間に腐敗し白骨化していく故人に付き添うことの精神的な負担。
皇室関係者や宮内庁職員が休みなく殯や大喪儀、即位の儀の準備を進める様子など、多くの人が身を粉にして儀礼を遂行する姿を目の当たりにされたのでしょう。
だからこそ、ご自身の時は、そのような負担をできるだけかけたくないという、上皇陛下のお心を表されたのが、お言葉の真意ではないでしょうか。
これ以前にも、「自身の葬礼に火葬を希望する」とも表明されている陛下。これらを受けて、上皇陛下の殯は簡素なものとし、土葬ではなく火葬とすることが公表されています。
まとめ
殯の歴史は古く、それだけに伝統として受け継いでいくことには大切な意味があります。しかし、その負担は大きく、現代の生活様式には合わない部分があることも事実です。
既に一般的には殯が行われることはありませんが、皇室の中でも伝統を継承しつつも、新しい時代に合わせて変化させていく動きが出てきています。
殯の精神は受け継ぎつつも、時代にあわせていくことが求められているのでしょう。