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狛犬とは?歴史や役割、シーサーとの違いや「阿吽」との関連、神社やお寺との関係を徹底解説
魔除けのシンボルである狛犬
神社でよく見かける狛犬は、守護獣像とも言われる空想上の動物です。
神社の参道の両脇に置かれている姿を見ることが多く、寺院にも置かれていることがあります。
正式には「獅子・狛犬」と呼ばれ、主に魔除けのために参道の両脇に一対で置かれることが多いです。右側が「阿形」(あぎょう)、左側は「吽形」(うんぎょう)と呼ばれます。
この記事では、狛犬の起源や歴史、姿形が似ているシーサーとの違い、「阿吽(あうん)の呼吸」との関連や、神社でよく見る一方でお寺ではあまり置かれていない理由について解説します。
狛犬の歴史
狛犬の歴史については諸説ありますが、古代オリエントのライオンが起源で、そこからインド、中国、朝鮮(高麗)へと渡り、日本にたどり着いたという説が有力です。
起源は古代オリエントのライオン
狛犬の起源が古代オリエントのライオンという説は、狛犬の正式名称が「獅子・狛犬」から浮上した説です。
古代オリエント諸国で、ライオンは王の権力の象徴であるとともに、神や王を守護するものとして位置づけられていました。
オリエントからエジプトに伝わったとされる「スフィンクス」もそのひとつです。
ギリシア・ローマにおいても権力の象徴としてあがめられたライオンは、ペルシアからインドに渡ると今度は宗教的にあがめられるようになりました。
中国でライオンは獅子と呼ばれた
インドから中国に入ったライオンは「獅子(しし)」と呼ばれるようになりました。
中国においても、ライオン(獅子)は権力の象徴であり、宗教的守護という位置づけでした。
中国に古くから伝わる「龍」や「麒麟(きりん)」といった想像上の動物のように、ライオン(獅子)も想像上の守護獣像と変化していったと考えられます。
獅子が中国から朝鮮(高麗)を経て日本に渡った
中国の獅子が朝鮮(高麗)に渡り、さらに日本に渡って狛犬となったと言われています。
狛犬が「高麗(こま)犬」とも呼ばれるのは、高麗から伝わったことが影響していると思われます。
狛犬が日本に伝わった時期について正確にはわかりませんが、遣隋使や遣唐使、渡来人などの大陸の行き来の際に一緒に持ち込まれたという説が有力です。
日本書紀によると、第一回の遣隋使の小野妹子が隋に渡ったのは607年頃とされているので、狛犬もこれ以降に日本に渡ってきたのではないかと推測できます。
法隆寺に置かれている仏像や五重塔にも獅子の姿があることからも、その時代の日本に狛犬の姿があったことを窺い知ることができるでしょう。
日本では天皇の玉体守護の役割に
日本での狛犬の役割は、天皇の玉体守護だったのではないかという説があります。
その根拠として挙げられるのは、皇室とゆかりの深い京都・仁和寺、天皇の御殿である清涼殿に置かれていた「獅子・狛犬図」です。そこからは狛犬が宗教的な文脈だけではなく、本来「ライオン」がもっていた権力の象徴として捉えられていたことが読み取れます。
また、宮中儀式の詳細を記した「延喜式」(平安時代中期に記された律令の補助政令である三代格式の一つ)にも「獅子・狛犬」の色や形、置き場所について定められていました。
これらをはじめ、かつての宮中の調達品に多く登場していたことから、狛犬の役割が天皇の玉体守護だったと言われています。
狛犬とシーサーの違い
狛犬と沖縄のシーザーは、どちらとも守護を目的とした獣像で、姿形も似ているため、一緒にされることが多いですが、全く違うものです。
両者の歴史や置き場所、大きさの役割や置く意味の違いを解説します。
シーサーの歴史
シーサーも狛犬と同じく、その起源は古代オリエントのライオンにあると考えられます。その後、中国に渡り「獅子」と呼ばれていたものが琉球王国に伝来し、沖縄の方言で「シーサー」と言われるようになりました。
シーサーが一番最初に作られたのは、1689年。沖縄本島南部の八重瀬(やえせ)町にあり、現在でも沖縄県指定有形民俗文化財として存在する「重盛の石彫大獅子(ともりのいしぼりうふじし)」です。
当時頻発していた不審火に困っていた地域の住民たちが、風水師に相談したところ、「火事の原因は八重瀬岳にあり、八重瀬岳に向かった獅子の像を建て、守ってもらうと良い」というお告げがあったことから、獅子の像を建てたと言われています。
そこから、シーサーは琉球に広がっていったのと考えられています。
役割や置く意味の違い
狛犬もシーサーも「魔除け」という役割は同じです。ただしシーサーと狛犬ではまず設置場所が違います。
狛犬は寺社の参道や社殿の前に置かれ、悪霊や悪い気が入らないようにし、万が一入ってきたときに追い払う役割があります。
シーサーは民家の玄関や屋根に置かれ、家庭にマムジンといわれる悪霊が入らないようにする魔除けの他に、幸運を招き入れる役割もあるとされています。特にメスとされるシーサーは幸運を招き入れる力が強いとされています。
大きさの違い
大きさを比べるとシーサーよりも狛犬の方が大きいです。
シーサーは先ほど紹介した「重盛の石彫大獅子」だと狛犬くらいの大きさですが、たいていは家に置けるような小さいサイズ。
それに比べると寺社に置かれる狛犬は大きく、高さは60cm~90cm位のものが多いです。
置く場所を考えると納得できるサイズではないでしょうか。
狛犬と「阿吽の呼吸」の関連は?
阿吽の呼吸という言葉がありますが、この「阿吽」は狛犬に由来していることをご存じでしょうか。
どのような関連性があるのか、阿吽の意味も踏まえて説明します。
阿吽は「初めから終わりまで」という意味
阿吽の「阿」は、インドなど南アジアや東南アジアでかつて使われていた古代語であるサンスクリット語のアルファベットの最初の文字、「吽」は最後の文字です。
二つ合わせて「阿吽」となり、「初めから終わりまで」という意味になります。
仏教で「初めから終わりまで」となると、生まれて悟りを開いてから、煩悩のない永遠に平和な世界とされる涅槃(ねはん)までを指します。
狛犬は「阿形」と「吽形」がある
一対で設置されている狛犬ですが、右側の口を開けている方を「阿形」、左側の口を閉じている方が「吽形」と呼ばれています。
どちらがオスでメスなのか、性別は諸説あります。日本に上陸した当時は獅子(らいおん)だったため、たてがみのある方がオスでした。しかし、江戸時代になるとあちらこちらに狛犬がつくられ、人それぞれに解釈されるようになり、諸説が生まれたようです。
阿吽の呼吸は二人の絶妙なタイミングのこと
「阿」は口を開くので息を吸う、「吽」は口を閉じることから息を吐くことを表現していることから、阿吽は呼吸の意味とされます。
「阿形」と「吽形」が一対で設置されている狛犬から、二人のタイミングが絶妙にあっていることを「阿吽の呼吸」と呼ぶようになりました。
狛犬と寺社の関係
狛犬は神社でよく見かけますが、お寺に設置されていることはあまりありません。神社とお寺の違いを踏まえながら、狛犬との関係性を解説します。
神社に多く置かれる理由
狛犬が日本に伝わった際に最初に置かれた場所はお寺でしたが、神社が建てられはじめた時に「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」という考えに影響され、神社にも置かれるようになりました。
神道では動物は神様の使いと考えられており、狛犬の他にも神社には狐や牛なども置かれています。
狛犬が神社に多く置かれるようになったのは、動物が神様を守るという神道の考えがうまくあてはまったことが大きな理由です。
お寺にあまり置かれない理由
お寺に狛犬はあまり見ませんが、まったく置かれていないわけではありません。
日本で最古の狛犬は東大寺南大門に置かれている石製のものです。
お寺よりも神社に狛犬が多く置かれるようになったのは、お寺には守り役として仁王像の存在があったからではないかといわれています。