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国民葬とは?国葬・合同との違い・過去の国民葬・国葬・合同葬をあらゆる角度で解説
国民葬とは国に功績のあった人の葬儀
国民葬とは、国に功績のあった人の葬儀です。国によって、定義が異なります。
この記事では、国葬・合同葬との違い、過去の国民葬、国葬、合同葬を紹介します。
一部国の予算を使う
国民葬は、国の予算の一部を使って催される、国に功績があった人の葬儀です。
1926年に施行された国葬令が1947年に失効されて以来、国葬が国民葬に取って代わったと考えられます。
国葬令は、どんな人が国葬に値するか明確に書かれている法律です。
1975年以来行われていない
上記で説明しましたとおり、国葬に取って代わったと考えられる国民葬ですが、1975年の内閣総理大臣を務めた佐藤栄作氏以来、行われていません。
佐藤栄作氏の国民葬は、自民党や国民の有志による儀式でした。費用は双方で負担しています。
国民葬と国葬・合同葬の違い
ここでは、国民葬と国葬・合同葬の違いを説明します。国葬令が廃止され、国民葬が行われることになりましたが、国民葬よりも合同葬の方が多いものです。
国葬は国費を使う
国葬は、すべて国費で賄う葬儀です。古くは大久保利通、岩倉具視など明治政府の主だった役人、明治天皇や大正天皇といった皇族の国葬が行われました。
国民葬との違いは、国費の使い方のみです。国民葬も国費を使いますが、国葬のようにすべてではありません。費用の一部は遺族が出します。
しかし、儀式の流れなどは大差ありません。そのため、国葬と国民葬の明確な違いは、費用負担のみです。
過去は国葬令があったが戦後に失効
大正15年に明文化され戦後に失効した国葬令の内容を以下に紹介します。
- 天皇・太皇太后・皇太后・皇后の葬儀は「大喪儀」と呼ばれる国葬にする
- 7歳以上で亡くなった皇太子、皇太孫、皇太子妃、皇太孫及び摂政といった皇族の葬儀は国葬にする
- 国家に偉功がある者は天皇の特旨による国葬を行う
国葬令が失効になった理由は、明確にされていません。しかし、勅令とされていたことが原因ではないかと言う考え方があります。
戦後に施行された新しい憲法によれば、天皇は政治に関与しません。しかし、勅令というと、天皇からの命令なので、天皇が政治関与しているようにとらえられます。
合同葬は企業と遺族による葬儀
合同葬は、企業と遺族による葬儀です。国に功労のある人に対する葬儀である国民葬とは異なります。
しかし、合同葬は政治家の葬儀を行う場合も多いです。国葬令が失効になってからは、内閣と自民党による合同葬がよく行われています。
2020年には、内閣総理大臣経験者の中曽根康弘氏の合同葬が行われました。
国民葬・国葬・合同葬の費用(首相経験者)
首相経験者の国民葬・国葬・合同葬でかかった費用の実例を紹介します。
①国民葬
戦後の国民葬は、1975年の故 佐藤栄作氏です。かかった国費は約2004万円でした。
参考:https://www.tokyo-np.co.jp/article/189881
②国葬
戦後の国葬は、1967年の故 吉田茂氏のみです。かかった国費は約1810万円でした。
参考:https://www.tokyo-np.co.jp/article/189881
③合同葬
近年開かれた元首相の内閣・自民党合同葬の費用は以下です。記憶に新しいところは、故 中曽根康弘氏です。
下記の費用は、政府と自民党で折半された額です。
引用:https://www.nishinippon.co.jp/item/n/651013/
2020年の中曽根氏の場合、コロナ禍で経費が増加しました。三密回避のために映像を使うなど、今までより費用が嵩んだと言われています。
また、政治家の葬儀の場合は、一般の葬儀よりも警備費などがかかります。
休日になるか否か
国民葬・国葬・合同葬で休日になったのは、昭和天皇の国葬のみでした。全国民が喪に服すという意味合いからと思われます。
吉田茂氏の国葬の時は、午後のみ休校、官公庁の職員は業務に差しさわりがなければ、午後に早退とされていました。
2022年9月27日に予定されている故 安倍晋三氏の国葬も休日にならない可能性が高いです。
なぜならば、松野官房長官が、2022年7月22日の会見で、安倍晋三氏の国葬9月27日を休日にすることを予定していないと述べたからです。
過去における首相経験者の国民葬・国葬・合同葬
過去に行われた国民葬・国葬・合同葬(首相経験者)を紹介します。
過去に行われた首相経験者の国民葬
過去に行われた首相経験者の国民葬は以下です。
行われた年 | 人物 | 功績 |
1922年 | 大隈 重信 | 明治、大正期の政治家内閣総理大臣を2度務め、政党内閣の組織、統計に業績を残した。早稲田大学の創設者としても有名。 |
1975年 | 佐藤 栄作 | 1964~72年、首相を務めた。日韓基本条約批推・非核三原則提唱・沖縄返還を果たす。74年ノーベル平和賞受賞。 |
大隈重信氏の国民葬は、日比谷公園で、イギリスの元首相ウィリアム・グラッドストンの葬儀を模倣して行われました。日本初の国民葬です。
参列人数は20~30万人とも記され、大隈重信氏が設立にかかわった早稲田大学、日本女子大学校の関係者が約2万人参列しました。
故 佐藤栄作氏の場合は、1975年6月16日、国民葬として日本武道館で行われました。主催者に内閣、自民党の他に国民有志が入ったために国民葬と形態をとっています。
この時、追悼の辞を述べたのは、当時の三木首相でした。7年8ヶ月の長期政権を労い、沖縄返還、ノーベル平和賞といった業績を称えました。
過去の首相経験者の国葬
過去の首相経験者の国葬は以下です。
- 1909年:伊藤博文氏
- 1922年:山縣有朋氏
- 1924年:松方正義氏
- 1940年:西園寺公望氏
- 1967年:吉田茂氏
吉田茂氏以外は戦前なので、国葬令による国葬です。
吉田茂氏の国葬は、国葬令が失効されたために、反対意見もありましたが、当時の首相佐藤栄作氏の強い希望により、閣議決定されました。
過去の首相経験者の合同葬
過去の首相経験者の合同葬です。
- 1980年:大平正芳氏(内閣・自民党合同葬)
- 1987年:岸信介氏(内閣・自民党合同葬)
- 1988年:三木武夫氏(内閣・衆議院合同葬)
- 1995年:福田赳夫氏(内閣・自民党合同葬)
- 2000年:小渕恵三氏(内閣・自民党合同葬)
- 2004年:鈴木善幸氏(内閣・自民党合同葬)
- 2006年:橋本龍太郎氏(内閣・自民党合同葬)
- 2007年:宮澤喜一氏(内閣・自民党合同葬)
- 2020年:中曽根康弘(内閣・自民党合同葬)
このように、戦後の多くの首相経験者は内閣・自民党との合同葬が多い傾向です。
国民葬のよくある質問
- 海外の国民葬について教えて下さい。
-
アメリカは、大統領経験者が国民葬の対象です。そして、イギリスは国王を始めとする王族や国家に功労のあった人が国民葬の対象です。
- 国民葬と国葬は似ていますか?
-
国民葬は、費用の一部を国家予算で出しますが、国葬は費用すべてを国家予算で賄います。違いはこの点のみで、流れなどは同じです。
どちらも、宗教色を出さないことが前提になっています。
- 国民葬の流れは一般的な葬儀と異なりますか?
-
規模が大きいというだけで、一般的な葬儀と同じ流れです。故人の死を悼む場として手を合わせます。
- 故 佐藤栄作氏は、なぜ国葬でなく国民葬だったのですか?
-
主催者が内閣・自民党のみでなく、国民有志が関わることになったからです。また、戦後、新しい日本国憲法の施行に伴い、国葬令が失効した背景もあります。
まとめ:国民葬は国に功績のあった人の葬儀で国家予算を一部使う
国民葬は国に功績のあった人の葬儀で、国家予算を一部使って大々的に行われます。似た言葉で、国の予算をすべて使う国葬があります。その違いは国家予算をすべて使うか、一部使うかです。
戦後、国葬令が失効されて以来、国葬は国民葬にとって代わるものと考えられていましたが、行われたのは、故 佐藤栄作氏の国民葬のみです。過去に遡ると、首相経験者の故 大隈重信の国民葬が行われました。
2022年9月27日行われるのは、故 安倍晋三氏の国葬です。