本ページはプロモーションが含まれています。
宝篋印塔とは?供養塔のこと?得られる功徳、構造について簡単に紹介
宝篋印塔とは墓地に造立されている石塔のこと
宝篋印塔とは、墓碑塔・供養塔などに使われる仏塔の一種で、墓地に造立されている石塔のことです。
木製のものもあれば、銅製のものもあります。
中国の金塗塔を模したことが始まり
中国では、銭弘俶という王様が延命を願い、高さ20㎝程度の金塗塔84,000基を造立しました。その中に宝篋印陀羅尼を納め、諸国に配ったとされています。
これは、お釈迦様が亡くなってから約100年後、インドの阿育王が仏舎利(お釈迦様の遺骨)を祀るため、インド全国に84,000基もの塔を建てたという故事に起源を持つと考えられています。
日本でも中国の金塗塔を模して、宝篋印陀羅尼を墨書きした紙で仏舎利に見立てた籾一粒を納めた塔が平安時代末から鎌倉時代にかけて作られました。
これが後の石造の宝篋印塔の建立の起源とされています。
本来は「宝篋印陀羅尼」を納める塔だった?
宝篋印塔の独特なスタイルもあってか、のちにこの特徴を持つ塔のことも宝篋印塔と呼ぶようになりました。現在では、宝篋印陀羅尼以外のものを収めていても宝篋印塔と呼ばれています。
しかし、本来は一切如来心秘密全身舎利宝篋印陀羅尼経の中の陀羅尼(呪文の一種)を写経したものを納めるための供養塔のこと。これに礼拝することで「罪障消滅・寿命長養」の功徳が得られるとされていました。
宝篋印塔の特徴:笠の部分の四隅に馬耳形の突起をもつ
宝篋印塔は、下から順に「基礎」・「塔身」・「笠」・「相輪」という部位に分けられ、相輪の頂上には「宝珠」が乗せられています。
合わせて、中央の笠の部分の四隅に隅飾(または「耳」と呼ばれる馬の耳に似た形状の突起)があることが特徴で、垂直に近いほど時代が古いと言われています。
古いものは飛鳥時代まで遡れるという説もあります。石造のものは鎌倉時代の初期から造立されており、中期からは盛んに造立されるようになったと言われています。
現代でも旧家のお墓などで用いられることも
宝篋印塔には、多数の如来が集まっているという考え方もあります。このため、遠いご先祖様の供養に加えて、子孫繁栄や、残された子孫を災害から守るという考え方のもと、現代でも建てられることがあります。
その場合の多くは
- 先祖代々の家系図や過去帳などが残っている名家や旧家のお墓
- 寺院の歴代墓
などで見受けられます。
宝篋印塔に関してよくある質問
まとめ:宝篋印塔とは信仰や墓石として造立される石塔のこと
宝篋印塔とは、墓碑塔・供養塔などに使われる仏塔の一種で、墓地に造立されている石塔のことです。
インドの故事にならい、中国を経て日本でも鎌倉時代中期から盛んに造立されるようになりました。
塔の特徴には、頂上部に「宝珠」が乗せられていること、また、中央の笠と呼ばれる部分の四隅に「耳」と呼ばれる馬の耳に似た形状の突起があることがあげられます。
現代では、この特徴を持つ塔のことを宝篋印塔と呼ぶようになっています。しかし、本来は「一切如来心秘密全身舎利宝篋印陀羅尼経」の中の陀羅尼(呪文の一種)を写経したものを納めるための供養塔。これを礼拝することで「罪障消滅・寿命長養」の功徳が得られると信仰されていました。
また、宝篋印塔には多数の如来が集まっているという考え方もあります。遠いご先祖様の供養に加えて、子孫繁栄や残された子孫を災害から守るものとして、現代でも建てられることもあるようです。