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支石墓とは?弥生時代のお墓?九州に多い?意味を紹介
支石墓とは巨石墳墓の一種で縄文から弥生時代にかけて造られたお墓のこと
支石墓とは、巨石墳墓の一種と言われ、縄文時代後期から弥生時代中期にかけて造られたお墓のことです。
読み方は「しせきぼ」。また、ドルメン(フランス語)とも言われます。
ドルは「卓」、メンは「石」を意味します。
半数は朝鮮半島に残っている
支石墓は、日本だけでなくイギリスやフランスなどの西ヨーロッパをはじめ世界各地にも残っています。中でも、現存する支石墓の約半数は朝鮮半島にあると言われています。
支石墓の形状①卓子式②碁盤式③蓋石式
支石墓の形状は、埋葬施設を囲うように板石(支石)を3枚〜4枚立てて、その上に平たい大石を載せた卓子形と言われています。支石墓が数多く残る朝鮮半島には、次のようなものが見られます。
①卓子式支石墓:朝鮮半島北部
高い支石(石柱)の上に大石(天井石)を載せて、地上に石室状(テーブル状)の埋葬施設を設けたもの。
②碁盤式支石墓:朝鮮半島南西部
低い支石の上に大石を載せたもの。埋葬施設は地下にあり、天井石が碁盤状に見えることからこの名が付いています。
③蓋石式支石墓:朝鮮半島南東部
支石を持たずに土に大石で蓋をしたようなもの。
日本の支石墓は朝鮮半島に源流がある?
九州北部を中心に現存する国内の支石墓は、②の碁盤式支石墓と③の蓋石式支石墓が混在しています。これらは、朝鮮半島のものと類似点が多く、強い影響を受けたものと考えられています。
国内で有名な支石墓史跡:原山支石墓群 (原山ドルメン)
国内の支石墓の中で有名なものは、最古・最大とされる長崎県島原半島南西部の原山支石墓群です。もとは3群ありましたが、第1群は開墾によって失われ、第2群と第3群で60基あまりの支石墓が現存しており、一般に原山ドルメンとも呼ばれています。
遺構からは籾の押し型がついた縄文時代晩期の土器や石包丁などが発見されたことや、中国大陸からの稲作技術の伝来時期が縄文時代晩期と推定されていることから、日本における稲作の伝来と開始を示す遺跡として、1972年(昭和47年)に国の史跡に指定されています。
原山支石墓群(原山ドルメン)
住所:〒589-2305 長崎県南島原市北有馬町大字坂上下名字新田ほか
電話番号:050-3381-5083(島原市商工観光課)
関連サイト:https://himawari-kankou.jp/learn/000574.php(南島原ひまわり観光協会)
支石墓についてよくある質問
まとめ:支石墓とは石柱の上に大きな石を載せて造られたお墓のこと
支石墓とは、縄文時代後期から弥生時代中期にかけて造られたお墓のことで、巨石墳墓の一種とされています。
世界各地に残る支石墓ですが、その約半数は朝鮮半島にあると言われています。その形状は
- 卓子式支石墓
- 碁盤式支石墓
- 蓋石式支石墓
などのパターンに分けられます。
▶︎それぞれの形状の特徴について詳しくはこちら
日本では九州北部を中心に分布が見られ、それらの形状が朝鮮半島にあるものと類似していることから、強い影響を受けたものと考えられています。
中でも、60基あまりの支石墓が現存し、最古・最大とされる長崎県島原半島南西部の原山支石墓群(原山ドルメン)は、縄文文化と稲作との関係を探る上でも注目される遺跡だとして、1972年(昭和47年)に国の史跡に指定されています。
▶︎原山ドルメンについて詳しくはこちら