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仏舎利とは?読み方・意味・歴史は?仏舎利塔がある代表的な場所についても紹介!

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仏舎利とは釈迦の遺骨のこと

仏舎利とは「ぶっしゃり」と読み、仏教の開祖である釈迦の遺骨を意味する言葉です。

舎利「しゃり」は、サンスクリット語で遺骨または遺体を意味する「sarira(シャリーラ)」の音を漢字に当てはめたものだといわれています。

ご飯のことを「シャリ」と呼ぶことも仏舎利と関係があるという説も

ご飯のことを「シャリ」や「銀シャリ」などと呼ぶこともありますが、この語源にも実は仏舎利が関わっているという説があります。

れが「僧侶が仏舎利をみて「米粒のようだ」と言いご飯のことをシャリと呼んでいた」とされる説です。後に、これが一般にも広まり、寿司屋では酢飯のことをシャリと呼ぶ習慣が現在も残っているそうです。

お米は「一粒のお米には七人の神様がいる」とされるほど貴重なものとして大切に食べられてきました。「釈迦の遺骨ほどに大切なものだ」との願いが込められていたのかもしれません。


仏舎利を礼拝するお経もある

仏教の経典には、仏舎利を礼拝するお経もあります。そのお経が「舎利礼文(しゃりらいもん)」です。わずか72字の本文という短さながら、大乗仏教の主旨が説かれているとされています。

一部の宗派を除き、葬儀や枕経などで用いられることも多いようです。

仏舎利の歴史

釈迦が亡くなった後、最初に仏舎利の所有を訴えたのは統治部族だったマウラ族(またはマッラ族)でした。このときの訴えが「専有」だったため、周辺の仏教を国教とする国々との争いに発展。

その結果、仏舎利は8つに分けられ、それに器と残った灰も加え、周辺内外の10か所の寺院に奉納されました。

最終的には8万余の膨大な寺院に再配布

仏舎利が10カ所の寺院に奉納されてから200年後、マウリヤ朝のアショーカ王がインドを統一。アショーカ王は敬虔な仏教徒であったため、仏舎利の発掘に取りかかります。

見つかった遺骨は細かく粉砕され、灰は微量ずつに分ける作業などを経て、最終的には周辺国も含め8万カ所あまりの膨大な寺院に再配布されました。

日本に伝わったのは593年

日本に仏舎利が最初に伝わったのは、推古元年正月15日(西暦593年)。安置された場所は法興寺(または元興寺)だと日本書紀に残されています。

1956年に実施された飛鳥寺周辺の調査により、法興寺の遺溝が発見されています。さらに現在は失われている仏塔からは、仏舎利容器も発見されました。

しかし、日本に仏教が伝来した時(西暦500年代半ば)には、仏像としての釈迦の姿があったことから、仏舎利や仏舎利を祀る仏塔は、必ずしも信仰の中心にはならなかったようです。

その後、754年に鑑真が仏舎利を携えて来日し、806年には空海らが大量の仏舎利を持ち帰ります。それ以降、日本において仏舎利信仰が再燃し、仏塔だけでなく舎利容器に収めたものを室内でも礼拝するようになったとされています。

仏舎利塔とは仏舎利が納められている場所

第二次世界大戦後、日本各地にインドのネルー首相から仏舎利が贈与されました。

その仏舎利を納めている建物が「仏舎利塔(ぶっしゃりとう)」です。多くがドーム型をしているという特徴があります。

国内で仏舎利塔がある代表的な場所

国内に多く建立されている仏舎利塔の中でも、代表的な場所は以下の通りです。

静岡県御殿場市「平和公園」

静岡県御殿場市の平和公園に建つ仏舎利塔には、インドのネルー首相から贈られた仏舎利が納められています。

白く存在感のある仏舎利塔は平和公園のシンボルとなっており、富士山の眺めが良く、箱根観光の途中に立ち寄る観光地として国内外を問わず多くの観光客で賑わっています。

静岡県観光協会 公式HP:https://hellonavi.jp/detail/page/detail/1424

広島県広島市「二葉山」

人類の幸福の戦争のない世界平和を念願し、原子爆弾の犠牲者の冥福を祈るため広島県広島市二葉山山頂に建てられた仏舎利塔。こちらにもネルー首相やスリランカ、モンゴルの仏教徒から贈られた仏舎利が安置されています。

併せて、広島への平和を願い納められた「祈念石」が数万個収納されています。

広島県観光協会 公式HP「ひろしま観光ナビ」: https://www.hiroshima-kankou.com/spot/3849

熊本県熊本市「花岡山」

山頂から熊本市街が見渡せる花岡山(はなおかやま)。こちらの頂上にも仏舎利塔が佇んでいます。完成は1953年(昭和28年)。世界平和の祈願を込めて建設されました。

塔内に納められている仏舎利はネルー首相から贈られたもの。尖塔の黄金はスリランカのコテラ・クラ首相から贈られたものです。

熊本県観光ガイド「こころに来るね、くまもと」公式HP:https://kumamoto-guide.jp/spots/detail/125

国内に納められている仏舎利は3カ所だけという説も

本来の仏舎利は釈迦の遺骨、遺灰、毛髪などのことであり、このような仏舎利を「真舎利(しんしゃり)」または「真身舎利(しんしんしゃり)」といいます。これらは入手が困難であることに加え、数も限られてくることから、各国では代替品を仏舎利塔に納めているといわれています。

代替品の例としては、遺骨によく似た宝石や経典などです。

こういった背景があることから、日本において真舎利を納めているところは、3か所のみであるとの説もあります。

仏舎利は平和を願い日本各地で祀られているお釈迦様の遺骨のこと

仏舎利は、お釈迦様の遺骨を意味しています。一度は仏舎利を巡った争いに発展していますが、現代では多くの寺院に仏舎利塔が建てられ、大切に祀られています。

国内で祀られている仏舎利の多くは、平和を願う姿からくるもの。どんな時代も平和を願うお釈迦様の信念が参拝する人々の心を癒し、平和の礎を築いているのかもしれませんね。

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