MENU

エジプトの世界遺産・葬祭殿とは?謎の女性ファラオ・ハトシェプスト女王の葬祭殿についても解説

本ページはプロモーションが含まれています。

目次

葬祭殿とは古代エジプト王のための祭殿

葬祭殿とは、古代エジプトのファラオの葬儀や礼拝をするための祭殿です。エジプトと言えば王の墓であるピラミッドが有名ですが、王墓には必ず葬祭殿が対で建てられています。

王墓から数百メートルくらいに並ぶように建てられた葬祭殿もあれば、数キロメートル離れて建てられている葬祭殿もあります。

王墓が砂漠の谷間に隠れるように作られているのに対して、葬祭殿の多くは砂漠の平地に作られています。

葬儀や礼拝を執り行うために、葬祭殿の周囲には倉庫や神官たちの住居なども作られ、周囲は壁で囲まれるように造られているのが一般的です。

この記事では、エジプトを代表する4つの葬祭殿と、その主人であるファラオの中でも謎とされる女王ハトシェプストについて解説します。

エジプトで有名な葬祭殿

古代エジプトに建立された王墓や神殿、葬祭殿などはその多くが世界遺産に登録されています。

キザ砂漠にあるクフ王のピラミッドやスフィンクス神殿を含む三大ピラミッドは王墓、神殿としてはもっとも有名です。

一方、葬祭殿で有名なのが、ハトシェプスト女王葬祭殿、セティ1世葬祭殿、ラムセス2世葬祭殿、ラムセス3世葬祭殿です。

これらは全て、約1000年間にわたり繁栄した古代都市テーベ地区、現在のルクソール地域のナイル川の東西河岸に建てられています。

ルクソールは一大遺跡地区であり、ツタンカーメン王の墓が見つかったことでも有名な歴代の王や王妃が眠る王家の谷もここにあります。

ハトシェプスト女王の葬祭殿

葬祭殿の中でも、もっとも規模が大きく知名度が高いのが、ハトシェプスト女王の葬祭殿です。

切り立った断崖絶壁の地形を生かした3層構造の巨大な葬祭殿で、各層がテラス式になっているのも特徴です。

ハトシェプスト女王は古代エジプトでは唯一の女性ファラオです。

女性ファラオが造らせた唯一の葬祭殿というだけでも価値がありますが、その規模の大きさは圧巻です。

その一方で、1892年に発見されるまでハトシェプスト女王の存在は歴史から消されていました。

葬祭殿内部の装飾は多くが削り取られており、未だに謎が残されています。

また、1997年に日本人観光客を含む62人がテロリストにより殺害された、ルクソール事件の現場になったのが、このハトシェプスト女王の葬祭殿です。

セティ1世の葬祭殿

セティ1世の葬祭殿は古代エジプトのセティ1世が建設をはじめ、息子のラムセス2世が完成させたと言われる葬祭殿です。

1階建て構造の葬祭殿には、7つの至聖所(しせいじょ)があります。

至聖所とは宗教的な建物の中でもっとも神聖とされる場所です。葬祭殿には通常、1つの至聖所がありますが、セティ1世の葬祭殿は7つの至聖所をもつ珍しい構造が特徴です。

また、セティ1世の葬祭殿には歴代の王の名を刻んだ貴重な王名表があります。

ただ、そこにはハトシェプスト女王の名は刻まれていません。

ラムセス2世の葬祭殿

ラムセス2世の葬祭殿は、ラムセウムとも呼ばれています。

テーベで最も高貴にして典雅な建物と言われる葬祭殿で、ヒッタイト王国との戦いでファラオが弓を放つレリーフが見どころとなっています。

度重なるナイル川の氾濫でラムセウスは倒壊が激しいものの、周囲に散乱したブロック状の石の大きさや銅像などの大きさから、その規模はかなりのものだったようです。

ラムセス2世はセティ1世の息子で、古代エジプトの中でももっとも繁栄した時代を築いたと言われるファラオです。

70年近くエジプトを統治し、強大な権力を有し90歳まで生きたと言われています。

ラムセウムだけでなく、カルナック神殿やアブ・シンベル神殿なども築き、建築王とも言われたファラオです。

ラムセス3世の葬祭殿

ラムセス3世の葬祭殿は、ラムセス2世を尊敬するラムセス3世が建てた葬祭殿です。

ラムセウムを模して建てられたとも言われています。

彩色を施した色鮮やかなレリーフが見どころで、葬祭殿の天井や巨大列柱にはラムセス3世の狩りや戦闘をモチーフにしたレリーフが施されています。

謎の女王ハトシェプストとは

ルクソールでもっとも有名な葬祭殿として多くの観光客が訪れるハトシェプスト女王の葬祭殿。

その主(あるじ)である、女王ハトシェプストは長い間歴史上から消されたファラオでした。3層からなる巨大な葬祭殿を築いたことからも、大きな権力を持っていたことが想像できます

それなのに、なぜ歴史上から消されてしまったのか。

ハトシェプストはファラオトトメス1世の娘で、夫は異母兄弟であるトトメス2世でした。

しかし2人の間には子が授からず、トトメス3世を継いだのは夫の妾の息子でした。夫が亡くなった時、トトメス3世はまだ幼かったためハトシェプストが実権を握り強大な権力を手にしていきました。

そして、ついに古代エジプト唯一の女王にまで上りつめたのです。

当時のエジプトでは男性しかファラオになることが許されなかったため、公の場では付け髭を蓄え、男装を纏っていたとも言われています。

実際に葬祭殿に施されたレリーフには、ハトシェプスト女王が男性として描かれています。

しかし、女王亡き後はいくつかのレリーフは削り取られ、王名表にもその名が刻まれることはありませんでした。

トトメス3世が女王を恨んでレリーフを削り取ったという説や、女性ファラオの君臨を快く思わない者たちが女王の存在を抹消したという説もあり、現在も研究者の間では議論が続いています。

まとめ

葬祭殿は葬儀や礼拝を行うための建物で、古代エジプトのファラオが自らの権力を示すうえでも重要な建築物でした。

エジプトといえばピラミッドが有名ですが、高度な古代建築の技術を垣間見れる葬祭殿も歴史的に貴重な遺産と言えるでしょう。

目次
閉じる