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ストゥーパが建てられた目的とは?世界と日本のストゥーパについても解説

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目次

ストゥーパは釈迦の遺骨を納めた記念碑

ストゥーパとは仏教の建築物のひとつで、仏舎利(釈迦の遺骨)を納めた記念碑のことです。

ストゥーパの起源は、古代インドで釈迦を荼毘に付した後に仏舎利を納めるために土を半球型に盛り上げた墳墓を作ったことに由来します。

この記事では、ストゥーパの歴史や特徴、日本のストゥーパにあたる仏塔について解説していきます。

ストゥーパの歴史

ストゥーパはもともと釈迦の墓として作られたのが起源です。

釈迦の弟子たちは、釈迦の入滅後、遺体を荼毘に付し、その遺骨である仏舎利を8つに分けて半球型の8つの塚にそれぞれ埋葬しました。

これがストゥーパの始まりと言われています。

インドの伝説では、アショーカ王がこのストゥーパを掘り出して仏舎利をさらに細かく分解し、インド全土に8万4千のストゥーパを建てたと言われています。

仏舎利の数には限界があるので、その後は、価値の高い宝石や経文、高僧の遺骨などを納めるストゥーパも建設されるようになっていったようです。

ストゥーパの形の変遷

ストゥーパは時代の流れや仏教が伝わった各地の建築様式なども影響して、さまざまな形に変化していきました。

ここではストゥーパの形の変遷とそれぞれの特徴などについて解説します。

ドーム型

円筒形の台基の上に、まるで鉢を伏せたような覆鉢(ふくはち)型と呼ばれる半球体を乗せたドーム状の塚がストゥーパの原型です。

覆鉢の頂点には、平頭と呼ばれる仏舎利を収めた箱が置かれ、その上に傘蓋(さんがい)が付けられました。

傘蓋とは文字通り傘のことで、古代インドでは位の高い王族や貴族は日差しや埃から守るために、従者が傘をかざしていました。

仏舎利に傘蓋をかざしているのは、それだけ仏舎利を大切に敬っているからです。

インドやネパールのストゥーパはドーム型が多く、もっとも有名なのはサーンチーのストゥーパです。

紀元前2世紀にアショーカ王によって建立された世界最古のストゥーパと言われ、全面に仏陀やアショーカ王のレリーフが刻まれています。

塔型

傘蓋(さんがい)を幾重にも重ねたようなイメージで、塔を高く積み上げていくスタイルのストゥーパです。

塔の最上部には相輪(そうりん)が備え付けられているのが一般的で、これは原型となったドーム型の頂点に付けられた傘蓋が変化したものと言われています。

塔型のストゥーパは、中国や日本に多く見られます。

釣鐘型(パゴダ)

台座の部分が円形もしくは四角になっていて、その上に釣鐘型のストゥーパが設置されているタイプです。

この形のストゥーパは、パゴダとも呼ばれます。

ミャンマーやタイではこのタイプのストゥーパが多く、ストゥーパの表面を金で装飾したきらびやかなものもあります。

その他

小型のストゥーパが何層にも巡らされた特殊なストゥーパとして有名なのが、ジャワ島のボロブドゥール遺跡です。

ボロブドゥールは、小型の釣鐘型のストゥーパをピラミッド状に積み上げ、頂上に中心となるストゥーパを設置した多層構造となっています。

世界最大級のストゥーパで、遺跡総面積はおよそ1.5万m、高さはもともと42mもありました(現在は破損のため33.5m)。

遺跡の内側にも多数のストゥーパを持つ特殊な構造で、世界遺産にも登録されています。

ストゥーパは日本語で仏塔

ストゥーパは英語でも「stupa」と呼びます。

ただしストゥーパの形によって呼び方を分けていて、釣鐘型のストゥーパはパゴダと呼びますが、こちらは「pagoda」と表記します。

ストゥーパが中国から日本に伝わった当初は「卒塔婆」と音訳されていたようです。

現在は仏塔と呼ぶのが一般的ですが、塔婆や塔と呼ぶのは、卒塔婆の名残りとも言われています。

日本各地に点在する五重塔はそれぞれの屋根に意味があり、下から地(基礎)、水(塔身)、火(笠)、風(請花)、空(宝珠)を表し、仏教的な宇宙観を示しています。

日本でも仏塔には仏舎利が納められていることになっていますが、現在は宗教と関係のない観光用に建てられた仏塔もあります。

まとめ

ストゥーパとは仏教建築のひとつで、インドで始まり仏教の教えと共に世界に広がる中で、さまざまな形に変化していきました。

本来は釈迦の遺骨である仏舎利が納められているとされていますから、そう考えて参拝するとありがたみも増すのではないでしょうか。

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