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奥津城とは?奥津城か奥都城か?・仏教のお墓との違い・勝海舟のお墓・よくある質問についてご紹介!

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目次

奥津城(おくつき)とは神道のお墓

奥津城は「おくつき」と読み、神道のお墓のことを言います。奥都城と書く場合もあります。

しかし、地域によっては「おくつじょう」と読むケースも見られます。

この記事では、奥津城、奥都城の分け方、仏教のお墓との違い、奥津城である勝海舟のお墓を紹介します。また、よくある質問も集めてみました。

墓石に〇〇家奥津城と書かれる

神道のお墓である奥都城は、暮石に「○○家奥津城」と書かれます。仏式では「○○家之墓」と書きますので、ここは大きな違いです。

下の画像でご確認下さい。

出典:株式会社石屋 熊出

奥は奥深いという意味

奥都城の「奥」は、奥深いという意味です。または「置く」という意味ととらえる場合もあります。

「城(き)」は、四辺を取り囲んだ一郭を表しているとされていますが、「棺」ととらえる見方もあります。

総合的に解釈しますと、外の世界から隔離された奥深い場所という意味や、棺を置く場所という意味になります。

津や都は万葉仮名で「~の」の意味

奥都城や奥津城の「津」「都」は、万葉仮名で「~の」という意味です。上代(飛鳥時代後期から奈良時代)の格助詞「つ」に当てています。

万葉仮名とは、上代に日本語表記のために漢字の音を利用して使われた文字です。

奥津城か奥都城か?

奥津城か奥都城か迷うところですが、区別の仕方は一つではありません。付近に池や山があれば奥津城という説、都を使うのは神官や氏子を勤めた人のお墓、津は一般信徒のお墓という説があります。

付近に池、川、海などあると奥津城

奥津城と書くのは、お墓付近に池や川、海などがある場合という説があります。それ以外の場所であれば、都を使って奥都城と書くということです。

しかし、地域に多い方の漢字を使うという説も存在します。例えば、地域で奥津城が多く使われていれば、奥津城を使うというケースです。

「都」は神官・氏子を勤めた人のお墓

奥都城を使うのは、神官や氏子を勤めた人のお墓に使うという説もあります。この場合、先祖が神官や氏子を勤めたのみでも、奥都城を使用できるようになっています。

都という字は功績によっては使用できるという意味と考えられます。

「津」は一般信徒のお墓

「奥都城」を用いるのは、神官や氏子のお墓という説の場合、一般信徒は「奥津城」を使います

この説によりますと、お墓を見れば、葬られている人が神官や氏子であったか、一般信徒であるかすぐにわかります。「○○家奥津城」となっていれば、信徒のお墓ということです。

仏教のお墓との違い

神道の奥津城と仏教のお墓は似ているところもありますが、違う部分も多いものです。主な違いは、形や香炉の有無、お線香を立てるか否かです。

神道は先が尖った形

出典:栃木屋石材店

神道のお墓である奥都城は、上記の画像のようにトキン型や角トキン型と言われる先が尖った形です。しかし、その他にもドーム型、お社型、左右に狛犬が配置された型などがあります。下記で詳しく説明します。

神道のお墓の形

神道のお墓の形は、4面を斜めに切って先が尖らせたトキン型や角トキン型と呼ばれる型が多いものです。因みに、この型は熱田神宮の御神体天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)を表しているという説があります。

その他の型は以下です。

  • ドーム型
  • お社型
  • 左右に狛犬が配置された型
  • 自然石に家名を刻んでいる
  • 墳丘型
  • 墓前に鳥居を設けた型

奥津城には香炉がない

奥津城には、仏教のお墓にあるような香炉がありません。その代わりに「八足」というお供え物を置く台があります。

お供えは塩、水、米、榊等です。

出典:栃木屋石材店

お線香を立てない

神道では、お線香を立てません。香炉がないのもそのためです。

その代わりにロウソク立てを使います。ロウソクの火は、故人があちらの世界へ行く際の道しるべです。灯してあげた方が良いとされています。

仏式の戒名は使わない

神道の場合、仏式の戒名は使わず、姓名の下に諡(おくりな)を付けます

幼児少年・少女青年成人老年
男性稚郎子(わかいらつこ)郎子(いらつこ)彦(ひこ)大人(うし)翁(おきな)
女性稚郎女(わかいらつめ)郎女(いらつめ)姫(ひめ)刀自(とじ)媼(おうな)

勝海舟のお墓は奥津城

東京都大田区の洗足池公園内にある勝海舟のお墓は奥津城です。隣には西郷隆盛の留魂祠(りゅうこんし)があります。

隣には西郷隆盛の留魂祠(りゅうこんし)

勝海舟夫妻の奥津城の隣には、西郷隆盛の留魂祠が存在しま

す。

留魂祠は明治10年の西郷隆盛の戦死を惜しんで勝海舟が造立しました。明治16年、西郷隆盛の7回忌の時です。

元々は葛飾区の浄光寺境内にありましたが、勝海舟の死後の大正2年、夫妻の奥都城の隣に移されました。

よくある質問

奥津城は何をお供えしますか?

榊、米、水です。仏教のように花を供えません。

奥津城の拝み方は?

神社の参拝と同じで、二礼二拝一礼です。静かに手を合わせる仏教の墓参りとは異なります。

神社にお墓はありませんが、奥津城を建てるにはどうすればよいでしょうか?

公営の墓所に申し込むか民営の墓所を購入します。神社には墓所がないためです。

まとめ:奥津城は神道のお墓・仏教のお墓とは異なる面もある

奥津城は神道のお墓です。仏教のお墓とは、形やお供え物、お参りの仕方、お供え物、お線香の有無、戒名などが異なります。

奥都城と書くこともありますが、その違いにはさまざまな説があります。地域によるもの、神官や氏子を勤めたか否かといったことです。

いずれにしましても、先祖を敬い、故人を偲ぶという心は同じです。

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