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慈悲とは?仏教と関係が深い?意味や読み方、慈悲の種類について簡単に紹介
慈悲とは「苦しみを取り除き、楽しみを与えたい」という心の動きこと
慈悲は「いつくしみあわれむ心」や「なさけ深い様子」を表す場合に用いられる言葉です。仏教においては、抜苦与楽(他者に対して苦を取り除き、楽を与えたいと願う心の働き)と定義され、重要視されています。
読み方は「じひ」。英語では「mercy」と訳されます。
慈悲は「慈」と「悲」に分けて意味を捉えられる
慈悲の意味は、「慈」と「悲」に分けて捉えることもできます。
慈=抜苦:苦しむ人の苦しみを取り除いてあげたいという心の現れ
「慈」はサンスクリット語の「maitrī(友情)」に由来し、深い慈しみの心のことで苦しみを取り除いてあげたいと思う心の現れを指しています。
例えば「家族や友人が暗い表情をしているため、相談に乗った、力を貸したいと思った」これが「慈」の心です。
悲=余楽:相手に喜びや楽しみを与えたいと思う心の表れ
「悲」は同じく「karunā(同情)」に由来し、深い憐れみの心のことで相手に喜びや楽しみを与えたいと思う心の現れを指しています。
例えば「家族や友人の誕生日に、相手が楽しみにしていた場所や喜ぶ場所に連れて行きたいと思った」これが「悲」の心です。
仏教では「悲」の心が重視されている
「慈」と「悲」、両者には多少の違い、また、慈を余楽とし、悲を抜苦とする解釈も見られます。しかし、二語とも奥深い心の現れという点で共通しています。
仏教では、他者の苦しみを救いたいと願う「悲」の心が特に重視され「大悲」と称されています。
慈悲にも種類がある?
抜苦与楽という意味を持つ慈悲ですが、実は二種類あると言われています。それが
- 小慈悲
- 大慈悲
です。
小慈悲:人間が持つ慈悲の心
人間が持つ慈悲の心を「小慈悲」と言います。その内容は以下の通り
- 平等ではない
- 一時的で継続しない
- 先が見通せない
私たちが「幸せになってほしい」と願うとき、相手が家族や友人など、関係性が近い人を対象としている場合が多いのではないでしょうか。例えば、災害が起きたときに寄付やボランティアとして駆けつけようと思ったとします。しかし、それは一時的なもの。見ず知らずの人に対し、長期的な支援を継続できないケースも少なくありません。
さらに相手が喜ぶからといって、好きなものばかりを食べさせたとき、栄養が偏り、病気を招くこともあり得ます。つまり、好意が不幸を招くことも考えられるのです。
このように、先が見通せず、平等かつ長期的な慈悲の心を持ち続けることが難しいというのが現実ではないでしょうか。
これが「小慈悲=人間の持つ慈悲の心」と言われています。
大慈悲:阿弥陀如来が持つ慈悲の心
一方「大慈悲」とは阿弥陀如来が持つ慈悲の心のことを指します。その内容は以下の通り
- 全ての人に平等
- 永遠に変わることがない
- 智慧に裏付けられている
阿弥陀如来からの大慈悲は性別や人種、職業だけでなく、貧しさ・豊かさ、愚かさ・賢さなどに対する差もなく、全ての人に平等に注がれます。また、永遠に変わることもありません。
阿弥陀如来の大慈悲は必ず幸せを招いてださる考えられています。
慈悲に関してよくある質問
まとめ:慈悲とは「苦しみを取り除き、楽しみを与えたい」という奥深い心の働きのこと
仏教における慈悲は、抜苦与楽として他者に対して「苦を取り除き、楽を与えたいと願う心の働きのこと」であり、重要視されています。中でも、他者の苦しみを救いたいと願う「悲」の心が重視され「大悲」と称されています。
さらに、慈悲には以下の二種類があると言われています。
- 小慈悲
人が持つ慈悲の心で、先が見通せず、平等かつ長期的な慈悲の心を持ち続けることが難しいとされるもの。
- 大慈悲
阿弥陀如来が持つ慈悲の心で、性別や人種、貧しさ・豊かさ、愚かさ・賢さなどに差もなく、全ての人に平等に注がれるもの
また、情け深く、相手を慈しむ気持ちが深い人や行動に対しては「慈悲深い」、思いやりの心やあわれみの心がない人や行動に対しては「無慈悲」など、慈悲という言葉は日常会話でも用いられています。