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お釈迦様とは?誕生日はいつ?誕生から悟りを開くまでの歴史や真言、国宝である釈迦如来像を祀っている寺院を紹介

目次

お釈迦様とは仏教の開祖である実在の人物

お釈迦様とは、悟りを開き仏教を開宗した実在の人物であり、仏教の開祖です。開宗後はインド各地で教えを広め、その生涯を閉じるまで人々に説法を伝え続けました。お釈迦様が亡くなった後は、弟子達がインドだけでなくアジア圏の人々にも教えを広め、多くの人々に影響をあたえました。

お釈迦様の誕生と歴史

お釈迦様の誕生した時期は明確ではないものの、今から約2500年前の4月8日だと伝えられています。ヒマラヤの麓の小国シャーキャ(釈迦)国に生まれ、父は国王であるシュッドーダナ。母は王妃のマーヤーであり、お釈迦様はシャーキャ(釈迦)国の皇子として、不自由のない日々を過ごします。

名前は「シャカ」ではない

お釈迦様の本名はサンスクリット語の「ゴータマ・シッダールタ」。「ゴータマ」は「最上の牛」という意味が、「シッダールタ」には「目的を達成する人」という意味が込められています。

「シャカ」ではなく他に本名があるにもかかわらず、お釈迦様と呼ばれるようになったことは、シャーキャ(釈迦)族の皇子であるためという説が有力です。

この他、悟りの境地に達してからは

●釈迦牟尼(しゃかむに)⇒シャーキャ(釈迦)族の聖者

●釈尊(しゃくそん)⇒シャーキャ(釈迦)族の尊者

などと呼ばれるようにもなりました。

29歳(19歳という説も)までは皇子として何不自由なく過ごす

誕生から7日後に母であるマーヤー妃を亡くしますが、母の妹であるマハー・プラジャパティーが親代わりとなり、皇子として不自由のない生活を送ります。父であるシュッドーダナもお釈迦様専用の宮殿を2つも与えほるど、とてもかわいがっていました。

16歳で隣国の王女ヤショーダラー(釈迦の従妹)と結婚し、19歳の時には第一子となる長男・ラーフラを授かります。

修行僧の清らかな姿を見て出家

不自由のない生活を送っていたお釈迦様は、人々が直面する「老いる・病気になる・死ぬ」という苦しみに悩み、妻と息子を宮殿に残し出家します。

その後、僧侶としての教えを乞うため、「アーラーラ・カーラーマ」と「ウッダガ・ラーマブッダ」という仙人に弟子入り。断食や呼吸を止めるなど様々な苦行を積むこと6年。しかし、納得できる答えを得ることができず仙人の元をさります。

村娘に助けられ、瞑想を開始

体が極限まで痩せ細って倒れてしまい、死線をさまよっているところをウルヴェーラー村に住むスジャータという少女に助けられ、一命をとりとめます。

そこで行き過ぎた苦行は無意味だと気付き、菩提樹の下で瞑想を開始。瞑想を邪魔し集った悪魔を退け、12月8日に悟りを得ることができました。

悟りを得た後は自らの歩みで布教を開始

お釈迦様が悟りを得た後に、まず教えを説いた相手は、苦行を共にした5人の仲間。当初は、苦行をやめたお釈迦様の教えを拒みましたが、お釈迦様の説法で考えが一変。全員が弟子となったのです。この瞬間に仏教が開経したといわれています。

その後お釈迦様は、80歳で亡くまでの45年の間、自らの歩みでインド各地へ出向き、多くの人々に教えを説き続けました。その教えはアジア圏にも広がり、現代の日本にも通じているのです。

お釈迦様の年表

年代年齢起きた出来事
前566年頃誕生シャーキャ族の国王である父・シュッドーダナと母・マーヤーの間に誕生
母は7日後に他界し、母方の叔母であるマハー・プラジャパティーが親代わりとなる
前550年頃16歳王女・ヤショーダラーと結婚
前547年19歳第一子・ラーフラ(息子)が誕生
前537年頃29歳人が直面している「老いる・病気になる・死ぬ」という苦しみに悩み、この悩みを解放できるよう悟りを得たいと考え、妻や子どもを残し出家する
前537〜531年頃29〜35歳バラモン教の教えに従いながら仙人に弟子入りし、修行の日々を過ごす。6年間の苦行を経ても答えを見出せなかった
前531年35歳苦行で倒れているところをウルヴェーラー村に住む少女(スジャータ)に助けられ、菩提樹の下で瞑想を開始。悟りの境地に達する
前531〜527年35〜39歳仏教の布教を開始。教団は1000人を超える規模となる
前527〜485年39〜79歳インド各地を巡り、教えを広める
前486年80歳死没

紀元前566年頃にお釈迦様が誕生したという説を元に年表をまとめました。

なお、お釈迦様の誕生年は、この他に紀元前463年や紀元前624年、紀元前1029年など複数の説があり、正確な生没年は分かっていません。

お釈迦様の誕生日は花祭りとして祝われている

お釈迦様の誕生日は、4月8日だと言われています。とはいえ、これを裏付ける証拠はなく、本当に4月8日に生まれたのかは定かではありません。

しかし、4月8日には「灌仏会(かんぶつえ)」という仏教行事が開催されてきました。明治時代に入ってからは「花まつり」と呼ばれるようになり「天上天下唯我独尊」と言葉を発したとされるお釈迦様の誕生仏に甘茶をかけてお祝いしています。

お釈迦様にまつわる逸話

偉業を成し遂げたお釈迦様には、現代でも語られている様々な逸話があります。中でも、よく知られているものが、お釈迦様の生まれたときの話である「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と出家の転機となった「四門出遊(しもんしゅつゆう)」

でしょう。

天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)

「お釈迦様は生まれてすぐ、7歩歩き、右手を上、左手を下に向け「天上天下唯我独尊」と話した」という逸話です。天上天下唯我独尊には、「この世で自分ほど尊いものはない。この生涯を最後に、私が再び生まれることはない」という意味があります。

自分に対するうぬぼれではなく、その人に改める部分があるからこの世に生を受けるという「輪廻転生(りんねてんせい)」の思考に基づいた言葉だといえます。

悟りを開くことで、魂が浄化。この世での修行の必要がなくなるため、生まれ変わることもないのです。生まれたときにこの言葉を口にしたことで「悟りの境地に達する」ことを暗示していたわけです。

なお、出生時は産道を通らず母の脇の下から生まれたともいわれています。

生まれてすぐ歩行することも、脇から生まれることも普通では考えられません。そのため、後世の人たちがお釈迦様を神格化するにあたり、尾ヒレがついたものではないかともいわれています。

四門出遊(しもんしゅつゆう)

四門出遊は、お釈迦様が出家の転機となった出来事を表した逸話です。

ある日、家臣と共に東門から出かけた際、腰の曲がった老人に遭遇します。皇子として育ったお釈迦様は、老いた老人の姿を見たことがありません。この老人に遭遇したことで「人はいずれ老いて弱々しい姿になる」ことを知ります。

翌日は南門で病人に、その翌日は西門で死人を運ぶ列に遭遇します。これらの体験により「人は老いる、病気にもなる。そしていずれは死んでいく」ことを実感。出会った人々は他人ですが「幸せな今があったとしても、いずれ苦しみがやってくる」と思い悩みます。

そんなとき、北門で清らかな修行僧に出会います。この姿に感銘を受けたお釈迦様は「この道にこそ、自分の悩みに対する答えがある」と直感し出家を決意しました。

国宝となっている釈迦如来像

日本書紀によると、日本に仏教が伝来したのは552年(飛鳥時代)。百済(くだら/ひゃくさい)の聖王(せいおう)又は聖明王(せいめいおう)により、時の天皇であった欽明天皇(きんめいてんのう)に金銅の釈迦如来像や経典、仏具などが献上されたことが仏教の伝来だと言い伝えられています。

それ以後は、多くの寺院がお釈迦様の仏像を祀ってきました。現在では国宝として指定され大切に保存されているものも多くあります。中でも有名な国宝仏像と祀っている寺院を紹介します。

深大寺「釈迦如来像」

東日本最古の国宝仏像である「釈迦如来像」を祀っている、東京都にある深大寺(じんだいじ)。歴史的に幾多の災厄にあっており、現存する御堂は1922年(大正11年)に再建されたものです。

参照 深大寺公式HP:https://www.jindaiji.or.jp

釈迦如来像の特徴

国宝指定は2017年(平成29年)と真新しいですが、仏像の歴史は古く、飛鳥時代後期(7世紀後半から8世紀初頭)いわゆる「白鳳」と呼ばれた時代に作られたものです。

指先などに見られる柔らかな肌が写実的に表現されていることが大きな特徴です。そこへ、規則正しく折りたたまれた衣文(えもん)が見事に溶け合い、国宝に相応しい優れた造形美を讃えています。

さらに、腰を掛けた形の仏像(倚像:いぞう)であることも大きな特徴です。

再発見され国宝になった経緯も

1841年(天保12年)にまとめられた文献によると、当時は本堂の脇仏として安置されていた様子。その後本堂が炎上し、再建もままならず釈迦如来像は元三大師堂(がんざんだいしどう)の須弥壇(しゅみだん:仏教寺院において本尊を安置する場所のこと)の下に仮置きにされ年月が経過してしまいました。1909年(明治42年)に再発見され、2017年に国宝に認定されました。

清涼寺の釈迦如来立像

本尊に釈迦如来像を祀っている、京都の清涼寺(せいりょうじ)。源氏物語に登場する光源氏が造営した「嵯峨の御堂」の有力候補とされる寺院です。

参照 清涼寺(嵯峨釈迦堂):http://seiryoji.or.jp/

釈迦如来立像の特徴

清涼寺の本尊である釈迦如来立像は、お釈迦様の在世中の姿(37歳の姿)を写した像であることが大きな特徴。さらに、釈迦像の体内からは絹で作られた五臓六腑(心臓や肝臓などの五臓と胃や小腸などの六腑)の模型が納められていたことがわかり、生きているお釈迦様を表していたという珍しい特徴もあります。

10世紀に中国の宋からもたらされたものですが「清涼寺式釈迦」として平安時代から鎌倉時代にかけて各地で多数の模像が制作されています。その数は、国内でも100体をこえるといわれています。

お釈迦様の真言

真言とはサンスクリット語の「マントラ」を略した言葉であり「偽りのない仏の言葉」と解釈できます。長い言葉ではありませんが「仏の教え」が込められた大変ありがたい言葉だといえるでしょう。

お釈迦様の真言は「ナウマク・サマンダ・ボダナン・バク」であり

●魂が成長する

●直感が冴える

●相互運の上昇

などが期待できるご利益とされています。

お釈迦様とは苦行を経て悟りを開き、その教えを世に広めた仏教の開祖

実在の人物であるお釈迦様は、本名を「ゴータマ・シッダールタ」といい、シャーキャ(釈迦)国の皇子として生を受けた人物です。不自由のない生活を送っていましたが、人が直面する「老いる・病気になる・死ぬ」という苦しみに悩み、出家。6年もの苦行の末に悟りの境地に達し、仏教を開宗しました。

悟りを開いた後は、80歳で亡くなるまで約45年間、仏教の開祖として多くの人々にその教えを説き続けました。現在の仏教があるのはお釈迦さまの思想あってこそ。一人の思想が2500年の時を経て世界中に広まるほど、強い影響力があったことを物語っています。

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