本ページはプロモーションが含まれています。
阿弥陀如来とは?真言や得られるご利益・阿弥陀如来像(国宝)を祀っている寺院を解説
阿弥陀如来とは南無阿弥陀仏と唱えることで全ての人に救いを差し伸べる如来
阿弥陀如来とは「南無阿弥陀仏」と唱えれば、全ての人が極楽浄土へと行けると教え広めた仏様で、如来の一尊です。
日本で阿弥陀如来の教えは浄土真宗として鎌倉時代色から広まり、武士や農民を中心に多くの支持を得た仏教の宗派のひとつとなりました。阿弥陀如来は現在でも多くの寺院でご本尊として祀られており、親しみ深く有名な仏様だと言えます。
四十八願の誓いを果たし如来となった
阿弥陀如来は、菩薩のときに四十八の大願を掲げ、それを果たした後に如来となったとされています。大願とは、仏や菩薩が衆生(しゅじょう)を救おうとする願いのことで、この大願を果たすことで悟りを得られるとされる仏語です。
「他力本願」は阿弥陀如来の教え
現代では「他人任せ」と解釈されることもある、他力本願(たりきほんがん)という言葉。実は本来の意味は異なっており、親鸞聖人(しんらんしょうにん)により広められた仏教用語のひとつです。
本来の意味は「阿弥陀様の力によって救われる」というもので、他力は仏様の力のこと。すなわち、阿弥陀如来の本願である「全ての人を極楽浄土へ」という願いを仏の力により叶えられるという意味。他力本願は阿弥陀如来なくしては、生まれなかった阿弥陀仏信仰の根本だといえます。
阿弥陀如来にちなんだ言葉「十八番」「あみだくじ」
阿弥陀如来にちなみ、現在でも使用されている言葉があります。
●十八番(おはこ):その人が一番得意だとしていること
阿弥陀如来の掲げた大願のうち、十八番目が本願だったことからできた言葉との説がある。
●あみだくじ:線をひき、ものごとの当たり外れを決めるくじびきの一種
現代のあみだくじの形態は、後世に出現したものであり、起源は室町時代にさかのぼる。当時のあみだくじは、放射線状に線が引かれていた。この線の形は阿弥陀如来の光背(こうはい)ちなんでおり「阿弥陀如来の光背に似た形のくじ」から「あみだくじ」と言われるようになったとされる。
阿弥陀如来の真言
真言とは、サンスクリット語の「マントラ」を略した言葉です。この意味は「偽りのない仏の真実の言葉」と解釈でき、短い言葉の中に仏の教えがこもっているといえるでしょう。
阿弥陀如来の真言は「オン・アミリタ・テイ・ゼイ・カラ・ウン」です。
真言を唱えることで常に静穏な心を得ることができ、さらに現世でも極楽浄土で送れるよう豊かな生活ができる効果があるとされています。
他にも、人の心の闇を浄化する力もあるため、阿弥陀如来の仏像をイメージしながら唱えると、更なる効果が期待できるでしょう。
阿弥陀如来のご利益
阿弥陀如来のご利益は「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と唱える全ての人を極楽浄土に迎え入れてくれることです。
また、様々な事情で念仏を口に出せない場合でも「南無阿弥陀仏を唱えようと思った瞬間」から救いを差し伸べてくれると言われています。
この他、戌年(いぬどし)・亥年(いどし)の守り本尊とされています。
「南無阿弥陀仏」の意味は「阿弥陀様に帰依する」
「南無」は「南が無い」という意味ではなくインドの言葉の「ナム」を漢字に当てはめたもの。ナムには、「帰依する(あなたに全てお任せします)」という意味があるため、阿弥陀如来に向けて唱える「南無阿弥陀仏」には「阿弥陀様に帰依する(阿弥陀様にすべてお任せします)」と言う意味があります。
修行や鍛錬を重ねて悟りを得る(人力)のではなく、阿弥陀様の力(他力)で願いを叶えることこそ、他力本願の教えでもあります。
阿弥陀如来像の特徴
国内でも多くの寺院でご本尊として祀られている阿弥陀如来像。釈迦如来と同じく、装飾品がないことが大きな特徴で、やさしく穏やかな表情をうかべていることも多いです。
手で禅定印(ぜんじょういん)もしくは来迎印(らいごういん)を結んでいる
阿弥陀如来像の最も特徴的な部分は、手で輪っかを作っていることにあります。両手の指で話を作っていることが多く、このポーズが他の仏像との違いを明確にしています。
輪の形は禅定印もしくは来迎印を結んでいることが多いです。坐像の場合は、禅定印・来迎印の両方がありますが、立像の場合は来迎印のみです。
●禅定印・・・お腹の前で人差し指と親指で輪を作っている状態
●来迎印・・・右手を上げ、左手を下に垂らした状態で人差し指と親指で輪を作っている状態
観音菩薩や勢至菩薩(せいしぼさつ)と並ぶ阿弥陀三尊像(あみださんそんぞう)
他の如来像同様に、脇侍に菩薩を抱える場合もあります。この時、向かって右側には「観音菩薩」が、向かって左側には「勢至菩薩」が控えます。三体で祀られる場合を「阿弥陀三尊像」と呼ばれます。
光背(こうはい)をもつ場合もある
仏像の後ろに光背と呼ばれる光りを背負っている阿弥陀如来像もあります。この光背は船の形をしたものや放射線状に円が広がっているものなど様々です。放射線状に象られている場合は、その数が阿弥陀如来の大願の数である「48本」であることが一般的です。
国宝の阿弥陀如来像を祀っている寺院
多くの寺院で祀られている阿弥陀如来像ですが、数が多い分、国宝に認定されている仏像も多数あります。
京都府平等院
10円玉のデザインに起用されている、国宝「平等院鳳凰堂(びょうどういんほうおうどう)」を有する京都府宇治市の「平等院(びょうどういん)」。1052年に藤原賴通(ふじわらのよりみち)が創建した寺院です。創建の翌年には阿弥陀如坐像を安置する阿弥陀堂(=鳳凰堂)が建立されました。
阿弥陀如来坐像
平等院に祀られている「阿弥陀如来坐像」は、日本を代表する仏師「定朝(じょうちょう)」の唯一確実とされている作品です。定朝により一定の法則が完成させられた「寄木造り(よせぎづくり)」により仕上げられています。仏像彫刻の理想像として讃えられた作品でもあります。
神奈川県の高徳院
鎌倉の大仏と知られる阿弥陀如来像を有する神奈川県の「高徳院(こうとくいん)」。浄土宗の仏教寺院です。
銅造阿弥陀如来坐像
高徳院の本尊である「銅造阿弥陀如来坐像」は、規模こそ東大寺(奈良県)の大仏には及ばないものの、ほぼ造立当初の面持ちを保ち、日本の仏教芸術史における重要な価値がある仏像です。
作者は不明ですが、運慶(うんけい)とそれに連なる仏師の作風と中国の仏師からの影響を併せ持つ鎌倉時代を象徴した仕上がりといわれています。
兵庫県の浄土寺
鎌倉時代初期に「重源上人(ちょうげんしょうにん)」により、建立された兵庫県の「浄土寺(じょうどじ)」。重源上人は、真言宗の僧侶であり、61歳の時に東大寺再建の責任者になった人物です。
浄土寺は、中央に八幡神社が、その前の池を挟み浄土堂と薬志堂が向かい合う珍しい配置となっています。
阿弥陀如来及び両脇侍像立像
浄土堂に祀られている「阿弥陀三尊立像」。名仏師として有名な快慶(かいけい)の作品です。阿弥陀如来は5メートル以上、脇侍も4メートル近くある大きさは、圧巻。夕日を受けて金色に輝く姿はまさに来迎(らいごう)の瞬間を体験できるかのようです。
祀られている釈迦三尊だけでなく、御当内部も国宝に登録されています。
まとめ:阿弥陀如来とは全ての人を極楽浄土へと導く仏様
阿弥陀如来とは「南無阿弥陀仏」と唱える(唱えようと考える)人々全てを極楽浄土へと導く、とても尊い仏様です。南無阿弥陀仏とは「阿弥陀様にすべてお任せする」するという意味であり、自分の力で悟りを得るのではなく、仏の力により成仏する「他力本願」の元となる教えでもあります。
阿弥陀如来の真言を唱えることは、亡くなってからだけでなく、現世で生きている人々にも生きる希望や豊かな生活を送る力を与えてくれると言われています。
国内でもとても親しまれている仏像であり、全国各地に多くの国宝として祀られている仏像が現存していることも阿弥陀如来の特徴です。