本ページはプロモーションが含まれています。
服忌令とは?読み方・意味は?いつ・誰が発令した?服忌令の現在についても紹介
服忌令とは「近親の死に際し喪に服す期間を定めた法令」のこと
服忌令とは「ぶっきれい・ぶっきりょう」と読み、近親者の死去に際して、喪に服す「服喪」と、穢れを忌む「忌引」を定めていた法令です。
当時は、近親者に死が訪れると穢れが生じると考えられていました。この穢れがなくなるまでは喪に服し、自宅で謹慎するなど、忌引すべき期間(日数)が必要だとされていたのです。
服忌令はいつ誰が発令した?
現在は廃止されている服忌令ですが、いつ・誰が発令したのでしょうか。
服忌令の発令は1684年(貞享1年)です。その後、1693年(元禄6年)までに5回追記され、1736年(元文1年)に確定し、その後 明治政府に引き継がれました。
公式法令として発令:『江戸幕府 5代将軍 徳川綱吉』
服忌令は1684年(貞享1年)幕府公式の法令として施行。これは「生類憐れみの令(しょうるいあわれみのれい)」で知られる江戸幕府の5代将軍「徳川綱吉(とくがわつなよし)」によるものでした。
確定法令に改定:『江戸幕府 8代将軍 徳川吉宗』
綱吉が施行した服忌令ですが、その後、複数の改定を経て、1736年(元文1年)に確定法令となります。
これは、江戸幕府8代将軍「徳川吉宗(とくがわよしむね)」によるものでした。
その内容には将軍はもとより大名・旗本・御家人や諸藩の武士、町役人や村役人のような幕府や藩の役人と直接接触する立場にある者に対する服喪期間と謹慎期間が定められていました。
・服喪期間:7日〜150日
・謹慎期間:3日〜50日
なお、この時点での服忌令は、一般庶民は対象外とされていました。
明治政府が江戸幕府の服忌令を採用
1868年に江戸幕府に代わる新政府として「明治政府」が発足します。
その後、1874年(明治7年)に江戸幕府の服忌令を明治政府の服忌令として採用し、これを公布しました。
その内容は、故人との関係性や立場により忌中・喪中の期間を明確に定めたもので、
故人との関係性・立場による忌中・喪中の期間の一例
■父母が亡くなった場合
忌中は50日・喪中は13カ月で子が服するもの
■夫が亡くなった場合
忌中は30日・喪中は13カ月で妻が服するもの
■妻が亡くなった場合
忌中は20日・喪中は90日で夫が服するもの
など
このように、服忌令は江戸幕府から明治政府に引き継がれた長期間に及ぶ法令ですが、1896年(明治29年)に公布された民法により、親族の定義・範囲の規定と服喪の関係性が失われていきます。そのため、服忌令の法律的な効力は有名無実化していったと考えられています。
現在は忌中及び喪中の期間を定めた法令はない
服忌令は、1947年(昭和22年)に廃止されています。以来、忌中及び喪中の期間を定めた法令は公布されていません。とはいえ、廃止されるまで260年余りもの間、日本の法律として国民の間に浸透していたことに変わりはありません。
このため、忌中や喪中の期間は服忌令とは少し違いますが、没後1年間は慶事などを控えることが望ましいといった社会通念が今も残っています。また、多くの団体や企業などでも忌引の慣習を「休暇制度」とかたちを変えて残しており、これらは、服忌令の名残といえるのかもしれません。
忌服に合わせた「忌引休暇」
忌中や喪中の期間を定める法令はありませんが、多くの団体や企業においては、親族が亡くなった場合に、その関係性に応じて取得できる休暇制度を設けています。それが「忌引休暇」です。
これは「喪に服する」という考えだけに特化しているものではありません。
親族が他界すれば、葬儀やそれに付随する手続きを行う必要があります。忌引休暇は、これらの諸手続きには「仕事を休まなければ厳しいものがあるであろう」という考え方で設けられたともいえ、いわば職員の福利厚生という側面も持ち合わせていると言えるでしょう。
一般的な取得日数は
・配偶者の場合・・・10日間
・両親の場合・・・7日間
など。また、祝日や土日はこの取得期間に含まれるという場合が多く、企業ごとで取得可能日数に違いも見られます。
忌引休暇は法律で定められていない
忌引に伴う休暇は、労働基準法で定められているものではありません。
忌引休暇は、あくまでも団体や企業などが その就業規則等で自主的に規定している特別休暇の一つ。
法令で定められている有給休暇とは異なり、中には忌引休暇の制度を設けていないところもあります。制度の有無や取得可能日数に関して不明な場合は、あらかじめ就業規則などで確認しておくと良いでしょう。
まとめ:服忌令とは江戸時代から明治時代にかけて発令された忌中・喪中を定めた法令のこと
服忌令とは、故人との関係性により喪に服す期間を定めていた法令のことで、江戸幕府 5代将軍 徳川綱吉が発令したものです。
その後、明治政府に引き継がれましたが、昭和22年に廃止されています。以来、忌中および喪中の期間を定める法令は公布されていません。
とはいえ、団体や企業などの多くでは就業規則などで「忌引休暇」の制度を自主的に設けています。
忌中(きちゅう:没後49日まで)と喪中(もちゅう:没後一周忌法要まで)という考え方は、今もかたちを変えながら国民生活の中に残されていると言えるでしょう。