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亀甲墓(かめこうばか・きっこうばか)とは?墓の構造や沖縄独自の風葬についても解説

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亀甲墓は沖縄を代表する墓

亀甲墓は、「かめこうばか」や「きっこうばか」と呼ばれる、沖縄独自の墓の形状です。

墓を上から見たときに、屋根の部分が亀の甲羅のような形に見えることが名前の由来となっています。

しかし実際は、「母体回帰」の思想に基づいて子宮を模した形だと考えられています。

墓室の入り口を石の板で閉じていますが、ここが子宮の出口だという説もあります。

本土にある一般的な墓に比べると、規模が大きく、山の傾斜などを利用して作られていることが多いのも特徴です。

この記事では、亀甲墓の特徴や歴史、亀甲墓と並んで有名な破風墓について、さらに沖縄で行われていた風葬についても解説していきます。

亀甲墓の特徴

亀甲墓は形はもちろん、立地や内部構造に独特の特徴があります。

立地

亀甲墓の多くは、山際や岩場にあります。

地表の傾斜に横穴を彫った上に亀甲状の屋根を被せるように作るためで、これは風葬の際に遺体を山際などに安置していた名残りからです。

山の傾斜に複数の亀甲墓が作られている場所もあれば、個人墓地に作られているものもあります。

沖縄は個人墓地が多い地域で、街中に突然墓が現れることも珍しくありません。

個人墓地は無縁仏などの問題から、共同の墓地へ移転を行政が進めていて、共同墓地に亀甲墓を作る場合は、墓室を地上に作るのが一般的です。

構造

亀甲墓は屋根も墓室も全て石造りまたはコンクリート造りとなっています。

  • 亀甲墓の内部
    • 墓室の内部は4畳~8畳ほどの広さで、入口付近にシルヒラシという遺体を安置して白骨化させるための場所があります。
    • その奥には棚が設置されていて、白骨化した遺骨を洗った(洗骨)後に、骨壺に入れた遺骨を安置します。
    • 一番奥には33回忌を過ぎた遺骨を合祀するためのノーシと呼ばれるスペースがあります。
  • 亀甲墓の外
    • 墓の前には祭祀用の庭が作られています。沖縄ではこの墓庭で親族一同が集まり、宴を催すこともあります。
    • 周囲は石垣で囲われていて、外部からは直接見えないようになっています。

亀甲墓の歴史

中国や台湾などにも亀甲墓と似た形状の墓が点在することから、中国から伝わってきたという説が有力です。

沖縄では17世紀後半から亀甲墓が作られるようになり、18世紀には沖縄の墓の主流になっていったようです。

なお、沖縄に残る最古の亀甲墓は1687年建立の伊江御殿墓(いえうどぅんばか)です。

かつては、王族や士族のみが造ることを許される特別な墓でしたが、明治時代の廃藩置県後には庶民も造るようになっていきました。

第二次世界大戦に入ると、亀甲墓は防空壕としても使用されるようになります。

その結果、アメリカ軍の空爆対象になり、多くの亀甲墓が破壊されてしまいました。

終戦後はアメリカ軍の統治によって区画整備が進む中で、さらに多くの亀甲墓が撤去されました。

沖縄の破風墓とは

沖縄独自の墓として亀甲墓とならんで有名なのが、破風墓(はふはか)です。

破風墓はまるで家のような三角形の屋根が付いた墓で、土台部分から屋根まで石やコンクリートで作られています。

亀甲墓と同じく、風葬のために遺体を安置するスペースが必要なため、規模が大きいのが特徴です。

小規模のもので1平米くらい、大きくなると9平米くらいにもなり、建築費用は200万円以上と高額です。

首里にある王家の墓「玉陵(タマウドゥン)」は、風葬の習慣から岩壁を背に破風墓が作られています。

琉球王国時代に作られたのが始まりで、当時は王室以外の者が建てることは認められていませんでした。

明治に一般に解禁されて以来、沖縄地方では広く作られるようになっていきました。

沖縄は台風が多いので、屋根付きの墓が合理的だったことも、破風墓が広まった理由と考えられています。

沖縄で行われていた風葬とは

沖縄では人が亡くなると、岩場や山際に遺体を安置して自然に風化し白骨化するのを待つ、「風葬」という葬送が1960年代まで行われていました。

風葬は自然回帰の思想から、亡くなった人を自然に還すことを体現した葬送です。

沖縄では、かつては火葬設備が整っていなかったり、土葬をするにも土地が限られていたりと、物理的な理由からも風葬を選択していたようです。

亀甲墓や破風墓の墓室が広く作られているのも、風葬のためのスペースが必要だったためです。

死後数年して白骨化した遺骨は、女性が水や酒で洗い(洗骨)、その後、骨壺に納めて墓に埋葬するのが伝統でした。

洗骨は女性の心身への負担が大きく、戦後火葬が主流になっていったことや、女性解放の流れなどもあり、風葬や洗骨は行われなくなっていきました。

まとめ

亀甲墓は沖縄独自の墓で、広い墓室の上に亀の甲羅状の屋根が設置されています。

もともとは身分の高い人のために造られる墓でしたが、庶民の間でも造られるようになり、今では沖縄の伝統的な墓として観光客や移住者にも注目されています。

墓にもその土地の歴史や風習が見られることがわかりますね。

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