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西山浄土宗とは?本山は光明寺?教えやお経、数珠の特徴について紹介
西山浄土宗とは法然上人の弟子「西山上人」の流れを組む浄土宗の一派
西山浄土宗とは、浄土宗の開祖である法然上人の弟子、西山上人の流れを組む、浄土宗の一派です。読み方は「せいざんじょうどしゅう」。
浄土宗とは?
浄土宗は、1175年(承安五年)に法然 上人が開宗した日本仏教宗派の一派です。
開宗後は、弟子たちの異なる解釈により分派と統合が繰り返され、現在は法然の弟子の中でも特に優れたとされる弁長上人の流れを組む鎮西派と、同じく証空上人(西山上人と言われている)の流れを組む西山派の二派となっています。
西山派:大きく分けて3派ある
西山派は大きく分けて3派に分かれています。
・浄土宗西山禅林寺派(総本山禅林寺(永観堂))
・浄土宗西山深草寺派(総本山誓願寺)
・浄土宗西山光明寺派(総本山粟生光明寺)→現在の西山浄土宗
この三つを総称して西山三派と言われています。
西山浄土宗の特徴:一類往生説
西山浄土宗の特徴は「一類往生説」と言われる教えにあります。
これは「念仏こそが極楽往生できる唯一の方法」だと説き、自力では往生できないため他力(=阿弥陀如来の力)によって往生しようという思想を意味します。
言い換えると「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えることのみが極楽に往生できる方法だと説いていると言えます。
総本山:長岡京市粟生の「光明寺」
西山浄土宗の総本山は、京都府長岡京市粟生に建立する光明寺です。
粟生は法然が初めて念仏の教えを説いた地。その後、弟子の蓮生が1198年(建久9年)にこの地に念仏三昧堂を建立しました。そのときに、法然から「念仏三昧院」の寺号を頂戴したのが光明寺の直接の始まりと言われています。
また光明寺には次のような逸話「嘉禄の法難」も残っています。
嘉禄の法難
1227年(嘉禄3年)、浄土宗の僧たちは、比叡山延暦寺など天台宗の僧兵たちが法然上人の墳墓を暴き、遺骸を鴨川に流すつもりでいるという企てを聞いた。このため、事を行おうとするその直前を制して、法然上人の遺弟たちが遺骸の石棺を太秦に移した。
そして、翌年正月20日夜、その石棺から数条の光明が放たれ、南西の念仏三昧院を照らすという奇瑞(良い出来事の前兆として起こる不思議な現象)が現れた。
こうしたことから、同月25日、遺骸を念仏三昧院に運んだ後に荼毘に付して裏山に納め、御本廟を建てた。この時の出来事にちなみ、念仏三昧院を改め、光明寺と称するようになった。
現在は紅葉の名所としても有名です。
重視する経典:観無量寿経
西山浄土宗は、浄土宗、浄土真宗と同様、浄土三部経と言われるお経を根本経典としています。
浄土三部経
- 無量寿経
- 観無量寿経
- 阿弥陀経
中でも西山浄土宗が重視している経典は、観無量寿経です。
数珠:日課数珠と呼ばれる特徴あるもの
西山浄土宗で用いられている数珠は、日課数珠と呼ばれるものです。日課珠数とは、「私は一日に○○回、念仏を唱えます」と誓約を立てて、念仏を唱える回数を数えることからその名がついたものだと言われています。
2つの輪を繋げたような2連であることが大きな特徴で、この形状は浄土宗ならではのものと言えます。また、輪を構成している玉にも違いがあり、片方は親玉、主玉、副玉が連なり、もう片方は親玉と主玉だけとなっています。
戒名:授戒を受けた人には空号がつく
戒名は、故人の年齢や信仰の深さ、社会的な功績などによって授かる内容が異なります。
西山浄土宗における戒名は、院号・空号・道号・戒名・位号となり、空号が与えられる点が特徴です。
西山浄土宗に関してよくある質問
まとめ:西山浄土宗とは一類往生説を説く浄土宗の一派
法然上人が開宗して以降、分裂と統合を繰り返し、現在は浄土宗鎮西派(一般的に浄土宗と言うとこの派を指す)、浄土宗西山派そして浄土真宗に分かれている浄土宗。
西山浄土宗はこの西山派の一派で「自力では往生できないため、他力(=阿弥陀如来の力)によって往生しよう」という一類往生説を説く宗派です。つまり「南無阿弥陀仏を唱えることが極楽へ往生できる唯一の方法だ」と説いていると言えます。
また、重視している経典や数珠、戒名などにも特徴があります。このほか、阿弥陀仏の救済を死後ではなく現在に見出し、喜びある生活に変えていこうとする教えも西山浄土宗の特徴だと言えるでしょう。