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碑文石とは?石碑のこと?意味や読み方、有名な碑文石について紹介
碑文石とは文章などが彫り込まれた石碑のこと
碑文石とは、歴史的な出来事の記録を目的として、文章や文字が彫り込まれた石碑のことです。読み方は「ひもんせき・ひぶんせき」。
古来だけでなく現代でも各地で多く見られており、記念事、伝記、由来、慰霊文など、後世に伝えたいことが彫り込まれています。
長期的に残せるというメリット
後世に情報を伝えたいと思ったとき、最も手軽な方法は「紙に文字を残すこと」でしょう。しかし、燃えたり、破枯れたりすることで簡単になくなってしまう可能性があります。
そこで、伝えたい記録を長く残す方法として、簡単に壊せない石に残したと考えられています。そのため、今でも碑文石を通じてその土地の歴史や後世に伝えたいことなどが計り知れます。
石に文字を掘り込むことは、時間も手間もかかる大変な作業です。しかし、それに見合ったメリットが碑文石にあると言えますね。
国内外で有名な碑文石
碑文石は、昔から各地で建碑されてきており、現在も数多く残されています。
碑文谷村の鎮守「碑文谷八幡宮」の碑文石
東京都目黒区碑文谷3丁目にある「碑文谷八幡宮 」。この八幡宮は、鎌倉幕府の有力御家人「畠山重忠 」の守護神を当地に勧請して創建したことが始まりと言われています。江戸時代には、碑文谷村の「鎮守」として大切に崇められていました。
その八幡宮の境内にある稲荷社には、碑文石が祀られています。この石碑には、以下の梵字(古代インド語である梵語(サンスクリット語)を表記するために用いられた文字のこと)が彫られています。
- 左側に勢至菩薩を表す梵字
- 中央に大日如来を表す梵字
- 右側に観音菩薩を表す梵字
この碑文石は、室町時代のものだと見られていますが建てられた由来は不明です。
日本三古碑の一つ「那須国造碑」
栃木県大田原市の「笠石神社」に祀られている「那須国造碑」。700年(飛鳥時代)に建碑されたもので、那須国を治めていた「那須直韋提」の事績を息子の意斯麻呂が顕彰するために作ったものだと言われています。碑文は19文字8行、全152文字からなり、故人を偲び祀ったことなどが記されています。
また、日本三古碑の一つに数えられ、1952年(昭和27年)には国宝に指定されています。後の二つは、宮城県多賀城市の多賀城碑と群馬県高崎市の多胡碑であり、京都府宇治市の宇治橋断碑が数えられることもあります。
ナポレオンの軍事行動がきかっけで発見された「ロゼッタストーン」
1799年、エジプト遠征中のナポレオン・ボナパルト軍が地中海沿岸の港湾都市ロゼッタで発見したという「ロゼッタストーン」。この発見により、古代エジプトの歴史研究が大きく進んだと言われています。
ロゼッタストーンは、紀元前196年にプトレマイオス5世によってメンフィスで出された勅令が刻まれた石碑の一部です。
碑文に古代エジプト語の神聖文字(ヒエログリフ)と民衆文字(デモティック)そしてギリシャ文字の3種類で同一の文章が刻まれていたことから、ヒエログリフを理解する鍵となりました。
碑文石に関してよくある質問
まとめ:碑文石とは歴史的な出来事などが刻まれた石碑のこと
碑文石とは、歴史的な出来事や伝記、由来、慰霊などの記録を目的に、文章や文字が彫り込まれた石碑のことです。碑文石は昔から各地で建碑されており、これを通じてその土地の歴史や後世に伝えたいことなどが残されてきました。
国内に残る碑文石としては、700年(飛鳥時代)に建碑された栃木県大田原市の笠石神社に祀られている「那須国造碑」や、日本最古の碑文石とされる京都府宇治市の橋寺に残る「宇治橋断碑」などが有名です。
一方、世界に残る碑文石で有名なものは、ナポレオンによって発見されたエジプトの「ロゼッタストーン」でしょう。この発見により、古代エジプトの歴史研究は大きく進んだと言われています。
紙ではなく、石に文字を彫り込むことは時間も手間もかかる大変な作業です。しかし、それ以上のメリットが碑文石にはあると言えるでしょう。