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両墓制とは?埋葬地と霊魂を祀る場所が異なる?分布地域や意味を紹介

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目次

両墓制とは遺体の埋葬と霊魂を祀る墓地を別々に作ること

両墓制とは、遺体をそのまま土中に葬るという土葬どそうを基本とし遺体を埋葬する墓地と、霊魂を祀る墓地の2つを設けて故人を供養するスタイルです。

読み方は「りょうぼせい」。

両墓制は減少している?

一昔前までは近畿地方、中国・四国地方の一部に見られるお墓のスタイルだった両墓制も、現存するものは、長野県佐久地域、瀬戸内海の諸島などに残る程度。火葬の定着とともに数が減少して現在ではほとんどみられなくなったことがわかります。

なお、両墓制が始まった理由については諸説あり、現在も統一的な見解は発表されていません。

①埋め墓②参り墓の二つが作られる

両墓制では、一故人につき

  1. 埋め墓
  2. 参り墓

の二つのお墓が作られます。

①埋め墓=遺体の埋葬地

埋め墓とは、遺体をそのまま埋葬するお墓のことです。「サンマイ」や「ミハカ」とも呼ばれています。山林や河原など、普段の生活エリアから離れたところに設けることが多かったようです。

埋め墓へのお参りは、四十九日から一周忌、さらには五年、七年を経て弔い上げをするなど様々。中には埋葬後は一切参らないというケースも見られるとのことで地域により慣習に違いが見られます。

現在では、新たな埋め墓を作ることはごくまれだと言われています。

さまざまなものを墓標にしている

土葬を前提としている両墓制では、自然の石はもちろん、草刈りの鎌、木を削って作った人形、塔婆など、さまざまなものが墓標として用いられたようです。さらに魔除けや結界の意味として、この場所を竹垣で四角く囲む例もあったと言われています。

②参り墓=霊魂をお祀りする場所

参り墓とは、霊魂を祀り供養するためのお墓のことです。「ラントウバ」や「タッチョウバ」などとも呼ばれています。多くは、村の中の共同墓地や寺院の境内などに設けられたようです。

遺体は埋め墓に埋葬されたことから、参り墓に納めなかったようですが、今では、遺骨を埋め墓と参り墓の両方に納める場合もあります。

外見の多くは石塔

参り墓の外見は、角塔婆や五輪塔などの石塔です。中には、宝篋印塔や多宝塔のような仏塔を建立することもあったようです。

両墓制についてよくある質問

現在も両墓制は行われている?

火葬が主流になった昨今では、東京都や大阪府、名古屋市や長崎市など、条例などで土葬を禁止する地方自治体が見られるようになりました。その他の地域でも土葬は減少し、同時に両墓制を取ることもほとんど見られなくなっています

両墓制の風景が残っていることで知られる香川県多度津町の佐栁島さなぎじまでも、1990年代に入り、土葬とする風習は衰退し、新たな埋め墓を作るケースはごくまれだと言われています。

なお、佐柳島の埋め墓は、現存する両墓制としては日本最大規模。香川県の有形民俗文化財に指定されています。

両墓制はなぜ近畿地方に多かった?

昭和37年〜39年にかけて現在の文化庁が行った「民俗資料緊急調査」によると、調査時に確認された両墓制習俗を持つ集落は全国的に少ないものの、近畿地方(滋賀県、奈良県、京都府、兵庫県など)に多かったことが報告されました。

しかし、両墓制が発生した起源やルーツには諸説あり、地域差に対する明確な見解は発表されていません

まとめ:両墓制とは土葬の場所と霊魂を祀るお墓の二つを建立して供養する方法

両墓制とは土葬を基本とし、遺体を埋葬するお墓(埋め墓)と、これとは別のところに霊魂をお祀りするお墓(参り墓)を作り、故人を供養する方法です。近畿地方にその風習を持つ集落が多く見られたとの報告された一方で両墓制が始まった理由など統一的な見解や地域差があることに対する明確な解析はなされていません。

埋め墓は、山林や河原など、普段の生活エリアから離れたところに作られる一方、参り墓は村の共同墓地や寺院の境内などに設けられることが多かったようです。

なお、火葬が主流となった現在では、条例などで土葬を禁止する地方自治体も見られるようになりました。それと並行して、両墓制を取る地域や家庭はほとんど見られなくなっています

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