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業(カルマ)とは?仏教での考え方・意味を簡単に紹介
業とは仏教用語でもあり「人間の行為」を意味する言葉
「業」は、訓読みでは「わざ」、音読みでは「ぎょう・ごう」です。
読み方によって、以下のように意味が異なります。
読み方 | 意味 |
---|---|
わざ | 行い、行為 例)人間業(にんげんわざ)、神業(かみわざ) |
ぎょう | やるべきこと、仕事 例)業務、営業、学業、家業 など |
ごう | 「人間の行為並びにその行為が果報をもたらす力となること」を指す仏教用語。仏教の基本的概念の一構成要素となっているもの。 |
サンスクリット語の「カルマ」が語源
仏教における業の語源は、サンスクリット語の「karman」です。カルマには「成すこと、成す力」という意味があります。
業の仏教上の解釈:原因・行為・結果・影響の総称
人の行為(=業)は、原因があり意思があって起こるものです。
仏教では、その行為は「必ずや何らかの結果を招き、結果によっては、それが次なる行為へと影響していくものと考えられています。
仏教では、業を「原因・行為・結果・影響の総称(サイクル)」として捉え、中心的な概念としているのです。
「身口意の三業」の思想
人の行為と聞くと、身体で何かをすることのように思いがちですが、仏教では、人の行為すなわち業を三種に分類し、「身口意の三業」と呼んでいます。
その三業は以下の通り
・身体に関わる行為(実際に行動すること)・・・身業
・言葉に関わる行為(言葉で言うこと)・・・・口業
・意思に関わる行為(心で思うこと)・・・・意業
仏教では、人の行為はこの身口意の三業が常に一体となって業を引き起こしていると解釈されています。
因果応報の思想とリンクしている
業の概念は、因果応報の思想によく似ています。
因果応報とは、善いことをすれば良い結果が、悪いことをすれば悪い結果を招くという善因善果・悪因悪果のことです。つまり、現世での自己の業の善悪に応じて転生する世界も決められると考えられているのです。
この因が業のことで、業にもまた、悪業・善業・無記業の三種があると説いています。
悪業にはどんなものがある?
身業・・・殺生、偸盗(盗み)、邪淫(不倫、道に外れた性行為)など
口業・・・妄語(嘘をつく)、両舌(二枚舌を使う)、悪口(悪口を言う)など
意業・・・貪欲、愚痴など
などを含む、十悪があるとされています。
これに反して不殺生、不妄語、不貪欲などの十善が善行に当たります。また、善悪のどちらにも当たらない業を無記業と呼んでいます。
輪廻転生の思想とも深く関わっている
業は、輪廻転生の思想とも深い関わりがあります。
輪廻転生とは、魂が生まれ変わりを繰り返すことを意味する仏教用語です。
今が良い人生だと思える人は前世の業が善業であった結果、一方、悪い人生と感じる人は前世での悪業がもたらしているものだとされます。
そして私たちが生まれ変わる来世も、現世での業のあり方次第だと説かれています。
惑・業・苦を断ち、解脱することが仏教の目的
仏教は、六道の世界で輪廻転生を繰り返す限り苦から逃れることはできないとし、苦から逃れるには、解脱すること、煩悩を断つことだと説いています。
煩悩とは、人の心をかき乱し、煩わせ、苦しみや妬み、怒りなどをもたらす心の働きを指すものです。そして、煩悩を生み出す要因には三つの「惑(迷いの元となるもの)」というものがあると考えられています。
三つの惑とは?
貪 ・・・貪り求める心
瞋 ・・・嫌い遠ざける心
痴・・・物事のありさまを知らないこと
仏教の目的は解脱、そのためには悪業を引き起こす要因となるこの三つの惑、すなわち煩悩を断つことだと説いているのです。
仏教用語の「業」を語源とする慣用句
仏教用語の業を語源とする慣用句があります。それは「業を煮やす」です。
ここでの「業」は理性では抑えられない心の働きを指しています。また、「煮やす」は、鍋を火にかけ、ぐつぐつと熱して煮えた状態にすることから転じて、怒りが激しくなる様を意味しています。
つまり、落ち着いていた心が、熱せられるように怒りで激しくなることから、この慣用句が生まれたと言われています。
使い方例
・彼の横柄な態度に誰もが業を煮やすのは当然だ。
・優柔不断な彼の様子に業を煮やしている。
・トラブルの解決策が見出せず、業を煮やした。
まとめ:業とは仏教独自の思想と深い関わりがある、人の起こす行為のこと
業とはサンスクリット語で「成すこと」を意味する「カルマ」を訳した言葉であり、人の行為を意味する仏教用語です。
仏教では、業には必ず原因があると説かれ、善い業(善行)には良い結果が、悪い業(悪行)には悪い結果が訪れるとされています。これは、仏教ならではの思想であり、因果応報の考え方にリンクしています。
また、日本では、現在の自分の行いは来世の自分にも影響があると考えている人も少なくありません。
煩悩を生み出す要因に注意し、悪行は悪い結果しかもたらさないと考えることは、現生を生きる上でも大切な視点だと言えるでしょう。