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看取りとは?緩和ケア・終末期ケアとの違いや家族の心構えを解説
看取りとは無理な延命治療は行わず自然に亡くなるまで見守ること
看取りは『みとり』と読みます。
看取りとは、死期が近い人に対し無理な延命治療を行わず、自然に亡くなるまで見守ることです。
厚生労働省の調査では、日本における死亡の場所は8割近くが病院、自宅での死亡は約1割と報告されていますが、実際に自宅で最期を迎えたいと考えている人は、4割にものぼります。
医療による延命ではなく、住み慣れた自宅で家族に最期を看取ってほしいと考える人が多いのはごく自然なことで、家族も看取りについて理解をしておく必要があります。
看取りの定義・意味
看取るという言葉は、もともと病気の人を看病する・世話をするという意味にも利用されていましたが、近年では死期を見守るという意味がメインで使われています。
しかし、死期が近い人の残された時間を充実させる・人間の尊厳を残してなくなるという意味も含まれ、単なる見守りではないと定義されています。
看取りは英語で『Care』
看取りを英語で表現すると、『Care』となります。
最期を看取る:Take care of the end
見守る・医療機関で治療を行うという意味も含んでいるため、『see』・『watch』・『nursing』などが利用されることもあります。
看取りはなぜ重要といわれているのか
近年、看取りの重要性が見直されています。
看取りは、亡くなる人の尊厳を守る・自分らしい最期を迎えるという意味を持つからです。
また大切な人を失った家族の心のケアも重要であるため、看取りをどのように行うかということは、医療や介護の現場だけではなく、精神的な面でも重要視されています。
看取りに対する意識調査
厚生労働省は、平成30年に看取りに関する調査を行いました。
その調査結果では、非常に興味深い内容が報告されています。
- 人生の最終段階における医療について、くわしく話し合っている人はわずか2.7%
- 話し合っていない理由は『話し合うきっかけがなかったから』が60%以上
- どこで最期を迎えたいかを考える際に、重要だと思うことは『家族等の負担にならないこと』が約70%
- どこで最期を迎えることを希望するかは、自宅が約70%
この調査結果からは、本来は自宅で家族とともに最期を迎えたいと思っていても、家族への負担などを考えて、医療機関や施設などでの最期を受け入れている状況がわかります。
また、家族と最終段階の医療について話し合っている人は非常に少なく、看取りについての希望を伝えきれていません。
終活ブームなどと言われていますが、実際に終活に取り組めている人は少ない状況だということでしょう。
看取りと他のケアの違いを知る
看取りと似ている言葉には、終末期ケア・緩和ケア・エンゼルケアなどがありますが、それぞれ違った意味を持ちます。
どのような違いがあるのか、一つひとつ解説していきましょう。
看取りと終末期ケアの違い
看取りと終末期ケアとの違いは、医療行為を行うかどうかという点が異なります。
終末期ケアは、ターミナルケアとも呼ばれ、終末期でも穏やかな状態で質の良い生活を送ることを目的とした医療です。
看取りにおけるケアは、日常生活ににおけるものが中心となります。
看取りと緩和ケアの違い
緩和ケアとは、患者さんや家族の肉体や精神への苦痛を緩和させつつ、治療や支援を進めていくもので、死期が近いという人だけが対象ではありません。
緩和ケアは、苦痛を和らげることを優先的に考えたケアで、医療行為が行われることがほとんどです。
看取りは死期の近い人に対する日常的なケア、緩和ケアは病気の治療中に行われるケアのため、死期が近い人に行われるとは限りません。
看取りとエンゼルケアの違い
エンゼルケアとは、亡くなった後の処置や、死化粧などを含めた行為のことです。
エンゼルケアには、人生の最後を美しく整え、故人だけではなく遺族の心をケアするという意味があります。
エンゼルケアは、逝去後に行うものなので、看取りとはケアをする時期が異なります。
【体験談】家族を看取るときの心構え
家族を看取る瞬間は、とても悲しくつらいものです。
しかし、その人らしい最期を迎えさせてあげるためには、遺される家族がしっかりとした心構えを持っておくことが重要になります。
筆者は両親を看取った経験があり、わからないことも多かったため、非常に後悔した経験があります。
筆者の看取りの体験をもとに、家族を看取るときの心構えを解説します。
声は聞こえている
病気が進行し意識が失われた状態になると、医師から『危篤』という状態が告げられます。
危篤になってから亡くなるまでの時間は個人差がありますが、家族や親しい人たちとお別れができるような配慮をして伝えてくれることがほとんどです。
筆者が両親を看取ったときに医師から言われた言葉は、
「意識がなくなってからも耳は聞こえている。たくさん話しかけてそばにいることを伝えてあげて。」ということでした。
確かに話しかけたり呼びかけたりしても、返事をしてくれる状態ではありません。
しかし、手を握ったり、身体をさすってあげたり…みんなが見守っていること、一人ではないことを伝えてあげることはとても重要なのです。
また、なかなか言えなかった「ありがとう」という感謝の気持ちを伝えることができる時間ともいえるでしょう。
意識はなくなっても、耳は聞こえているということを信じて、たくさん話しかけてあげることが大切です。
見ていて楽なのと本人が楽なのは違う
死期が近くなった母と一緒にいて思ったことは、見ていて楽なのと本人が楽なのは違うということです。
母は肺がんで亡くなったので、意識があるときは話すのがとても苦しそうでした。
病状が悪化し、医師から長くないと言われた後も、しばらくの間母は意識がありました。
苦しそうに息を吐きだし、身体をよじっていた母を見て、筆者は看護師さんを呼び、楽になれないのかと聞いたところ、「話をしようとしているんじゃないか」と言われたのです。
確かに目を見開いて、こちらを見ていた母。
自分で死期を悟り、何かを伝えようとしていたのだと感じました。
看取りは人生で何度も経験することではありません。
そのため、死期が近いことを医師に告げられたら、臨終のサインを聞いておくことも重要です。
手続きの重要性
看取りは、遺された家族にとって精神的なダメージが大きいものです。
しかし逝去後は、さまざまな手続きに追われることになります。
葬儀関係の手配や、親せき・知人への連絡など、次から次へとやることが出てくる…というのが実感です。
現実的な話では、現金の用意が必要です。
タクシー代・病院への支払い、筆者の場合は死装束を用意する必要があったので病院の売店で購入しなければいけませんでした。
亡くなった人の口座は相続が整理されるまで凍結となりますし、生命保険などもすぐにはおりません。
葬儀代などに備えて、現金を用意しておくことを忘れないようにしましょう。
元気なうちに終活を
筆者の母は、病気の進行が早く、入院して3日目で意識がなくなりました。
母は10年ほど前からさまざまな病気に罹患していたにも関わらず、終活を進めていなかったので、後悔ばかりが残ってしまいました。
- 延命治療の有無
- お墓や葬儀の希望
- 最期に会いたい人
- 連絡をしなければいけない人
何も話し合っていなかったために、逝去後は大混乱でした。
死をタブー視して、「具合が悪い人に縁起でもない」という意識が強かったことが原因だったのです。
「話しておけばよかった」は永遠の後悔になります。
元気なうちに終活を行うこと、家族と自分の最期についてきちんと話し合うことの重要性を身をもって体験しました。
看取りに関する3つの質問
まとめ:看取りとは最期まで尊厳のある生活ができるようにすること
看取りとは、ご本人が最後まで尊厳のある生活ができるようにすることです。
看取りにおいて重要なことは、事前に家族でじっくりと話し合い、どのような最期を迎えたいのかという希望を聞いておくこと。
病状などで叶わないこともありますが、本人の希望に沿った看取りを行うことで、遺された家族の後悔を減らすことができます。
看取りを行う上では、家族にも知識や心構えが必要です。
感謝を伝え、穏やかに、温かく見送ることができるよう、慌てずに対処しなければいけないことを理解しておきましょう。