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鳥葬とは?行われる理由・流れ・日本で行われない理由・かつてあった似た葬儀方法を解説

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目次

鳥葬とは遺体を鳥に与える葬儀の方法

鳥葬(ちょうそう)は、故人の遺体を鳥に処理してもらう、日本にはない葬儀の方法です。

この記事では、鳥葬が行われる理由、流れ、日本で行われない理由、かつてあった似たような葬儀方法について解説します。

チベット仏教やインドのゾロアスター教で行われる

鳥葬が行われるのは、チベット教やインドのゾロアスター教です。

行われる国は、チベット仏教が信仰されている地域です。中国のチベット文化圏の他、ブータン、ネパール北部、インドのチベット文化圏の地域、モンゴルの一部地域です。

鳥葬が行われる理由

鳥葬が行われるのには、理由があります。それは、チベット仏教やゾロアスター教の考え方によるものです。

諸説ありますが、ゾロアスター教は仏教の元になっています。元々ゾロアスター教で行われていた鳥葬が、チベット仏教でもやり方を変えて行われるようになったと言われています。

ただし、信仰しているすべての人が鳥葬を行うわけではありません。鳥葬には、解体師を雇うなど、それなりに費用がかかります。支払いが厳しいケースや伝染病で亡くなったケースでは、水葬を行います。

チベット仏教での考え方

チベット仏教の考え方では、魂の抜けた遺体はただの抜け殻です。そのため、今まで他の生き物の命をもらって生きながらえてきた感謝の意味で、最後は肉体を他の生き物にお布施として差し出すという考え方です。

また、魂の抜けた遺体を天に送るための手段という考え方もあります。実際、中国では天葬と呼んでいます。

さらに、チベット仏教には、人は何度も生まれ変わるという輪廻転生(ろくどうりんね・りくどうりんね)という思想が存在します。それも鳥葬が行われる理由の一つと考えられます。

ゾロアスター教での考え方

ゾロアスター教では、遺体は悪魔の住処と考えられていました。それと逆に火は善の象徴で崇拝されていたのです。そのため、悪魔の住処である遺体を聖なる火で焼くことはできませんでした。

土葬や水葬も行っていないため、サーサーン朝ペルシア時代は、遺体が路傍に放置され、ハゲワシに食べられていました。又は、乾燥させてダフマと呼ばれる磨崖穴に入れられていたのです。これは爆葬または風葬と呼ばれる葬儀方法でした。

やがて、イランからインドに移ったゾロアスター教の信徒は、ダフマを鳥葬専用の場所にしました。湿り気のある土地のため、遺体が乾燥する前に腐乱してしまうからです。腐乱する前に鳥に食べさせたと考えられます。

鳥葬専用のダフマにタワー型の台をつくり、遺体を乗せました。そこで、鳥に食べられて骨のみになったら、太陽の光で漂白します。やがて骨は土に還ります。

宗教以外の理由

宗教ではなく、周囲の環境が理由で鳥葬が行われることも考えられます。火葬や土葬は、チベット高地の環境に負荷をかけるからです。

チベット高地には大きな木が生えません。そのため火葬を行う薪の確保は不可能です。

また、寒冷地帯なので微生物による分解ができない、土が固く穴が掘れないといった理由で土葬も難しいです。

こうした自然状況のために火葬や土葬ができず、鳥葬を行うようになったと考えられます。

鳥葬の流れ

ここでは、鳥葬の流れをお伝えします。亡くなってから、鳥葬を終えるまでの一連の流れです。

読経後に鳥葬台へ

①僧侶が読経することで遺体から魂を抜き、鳥葬台へ運びます。

②解体師と呼ばれる職人が遺体を解体し、鳥が食べやすいように骨も砕きます。

③ハゲワシなどの鳥たちが食べ終わったら、葬儀は終了です。

地域によっては、遺体を解体して断片化したり骨を砕いたりしません。その場合、残された骨は放置場所に置かれます。

鳥葬は日本で行われない

日本では「死体損壊・遺棄罪」になるため鳥葬を行いません。つまり、罪に問われることになるからです。

刑法第190条の「死体損壊・遺棄罪」による

日本では、鳥葬は刑法第190条の「死体損壊・遺棄罪」に当たる可能性があります。これを破ると3年以下の懲役になる可能性があります。

「死体損壊・遺棄罪」は「死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を放置したり、勝手に自分の物として扱ったりしたら、3年以下の懲役に処せられる」となっています。鳥葬の場合、遺体を放置して鳥に食べさせるので、放置として解釈される可能性が高いです。

また、「墓地・埋葬等に関する法律」でも火葬や土葬の際に市町村の許可を必要としています。鳥葬の際も許可がいるということですが、許可が下りるとは思えません。

京都や沖縄で鳥葬に似た葬儀方法があった

日本でもかつては、鳥葬に似た葬儀方法がありました。ここでは、京都の鳥辺野、沖縄の風葬を紹介します。

また、船員法で認められている水葬についても解説します。

京都の鳥辺野

平安時代、京都で葬送の地として規模が大きかったのが東山の鳥辺野(とりべの)でした。

当時の平安京では人口が12~13万人だったと言われています。人が亡くなったら、遺体をどうするかは大問題でした。

都を清浄に保つために、葬送の地は都からほどよく離れた場所が選ばれました。その一つが東山の鳥辺野です。現在もこの界隈には鳥辺野の入口となる「六道の辻」の石碑が残っています。

鳥辺野は阿弥陀ヶ峰山麓の丘陵地付近だったという説が有力です。山の枝に遺体をかけ、鳥が啄みやすいようにしていたと言います。鳥葬とも言われました。

この時代は三位以上の身分の高い人しかお墓を作れませんでした。火葬にもお金がかかるため、庶民は上記のような鳥葬の形で葬られたのです。

鳥辺野の地名も鳥葬から付けられたと言われています。

沖縄の風葬

沖縄では、久高島で1960年代まで風葬が行われていました。そして、沖縄独特の風習である洗骨も実施されていました。

久高島で実施されていた風葬は共同で行われていました。特定の洞窟や山林に遺体を安置して風化させ、墓所にする方法です。棺に入れて安置するという方法もありましたが、こちらは王族や士族に限られていたようです。

洗骨は遺体が風化してから、骨を取り出して海水で洗うことです。主に親族の女性が行っていましたが、戦後は保健所や女性解放運動によって禁止されました。

沖縄では、風葬を行うことで、亡くなった人が二カラナイと呼ばれる来世に行けると信じられていました。

船員法で認められている水葬

船員法第15条では、水葬が認められています

船長は航海中に船内で人が亡くなったら、水葬に付すことができるとしています。

ただし、それには船舶が公海上にあること、死後24時間経過していること、衛生上の問題で船内に遺体を置いておけない場合という条件があります。

また、本人の写真を撮影すること、遺髪や遺品を保管することも条件です。そして、遺体が浮かび上がらないように処置を施し、相当の礼儀をもって行うとされています。

まとめ:鳥葬はチベット仏教などによる葬儀方法

鳥葬はチベット仏教やインドのゾロアスター教の考え方に基づいた葬儀方法です。

チベット仏教は、生前は他の生き物の命を頂いていたので、せめて最期は鳥たちに我が身を捧げようという考え方です。それをお布施と取ることもできます。

ゾロアスター教の場合は、火は善の象徴なので、悪魔の住処である遺体を焼くことはできません。そのために鳥葬が行われるようになりました。

こうした鳥葬は、小説の中に書かれることもあります。井坂幸太郎「アヒルと鴨のコインロッカー」には鳥葬に対するブータン人の考え方が、登場人物を通して描かれています。

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