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死を受け入れるまでの5つの心理段階と恐怖心を抱く原因とは?死そのものを見つめることに意味があるのかを解説
死の恐怖とは「死ぬとき」と「死後」どうなるかという不安
誰にでも必ず訪れる「死」。誰もが一度は考える「死んだらどうなるか?」。人は「死ぬとき」や「死後」を考えると不安です。ところが人は「死」について考えることを避けてきたとも言われています。死の恐怖心が強いため、実は死に対して目をそむけてきたそうです。今回はどういう思考のもとで死の恐怖を避けてきたのか、実際に死の恐怖と向き合うことに意味があるのかをみていきましょう。
データで見る死
WHOの2016年の統計結果によると、1年間の死亡者数は5690万人になります。ここでは主な死因や平均寿命について解説します。
死因で圧倒的に多い虚血性心疾患、近年はアルツハイマー病も増えてきた
世界の死因で圧倒的に多いのは虚血性心疾患。つまり心臓の血管がつまる病気です。次が脳卒中。脳の血管が破れて発症する病気で、近年はアルツハイマー病も死因として増えています。
世界の平均寿命は2倍に
世界の平均寿命は、1800年からの200年間で2倍にのびたそうです。かつては感染症のため高かった子供の死亡率が、医療の進歩などで大きく下がりました。また、成人の死亡率も下がっています。
若い人と高齢者では恐怖心の度合が違う
若い人は、死に対しての不安や恐怖心を抱く人が多いそうです。「平成26年度版厚生労働白書」によると、年齢が高くなるにつれて死に対する恐怖心が薄らぐ傾向にあり、それは周囲の人の死が関係しているからと考えられています。
高齢者の恐怖心が薄らぐのは周りの人、特に親しい人との死別による?
高齢になれば、家族や友人など近しい人の死と関わることが多くなり、その死が身近な人であればあるほど、死に対する恐怖心が薄らぎます。また自身の肉体の衰えを感じ、いずれは死ぬことを自覚するそうです。
高齢者は死に対して恐怖心が薄いとも言えない
実のところ高齢者は、死に対する恐怖心が薄らいでいるとも言えません。確かに「いずれは死ぬ」ことを意識していますが、実際に自身の死が訪れるのは「まだ先」のこと。また現実から逃げ出したいという意味で、死を捉えている人もいます。
人生の目的意識が明確な人は死の恐怖心が薄い*₂
人生の意味や目的意識をはっきりと持っている高齢者は、死に対する恐怖心が薄いという報告があります。また現実から逃避したいという考えもないようです。
死を宣告されたときの5段階の心理変化*₁,₃
アメリカの精神科医キューブラー=ロスが、200人の末期癌患者にインタビューをし、どのような心理変化があるかが報告されています。調査はクリスチャンが多いアメリカ人を対象としているので、日本人にはあてはまらるかどうか疑問視されています。ここではその調査の報告内容をみていきましょう。
5段階の心理変化
末期癌の患者は、否認・怒り・取引・抑うつ・受容の5段階のプロセスを踏むことが多いとされています。だから5段階の心理状態を経させるように誘導する、というわけではありません。プロセスの順序が違う場合やある段階の心理状態で留まり続ける場合があり、その場合はその心理状態のままにしておくほうが、患者にとってよいそうです。それでは5つのプロセスをみていきましょう。
①否認
死を宣告されたとき、人はまず否定するそうです。「そんなはずはない!」と。死が近いことは、到底受け入れられないことで、否認は患者にとって自己防衛機制となります。200人のうち最後まで否認し続けた患者は、3人いたそうです。
②怒り
健康に気をつけていたのに、なぜ自分が病気なのかという怒りの思いが沸き、健康な人が妬ましくなります。患者自身が本音をさらけ出したなら、医療従事者や家族は、それを受け止めていくとよいそうです。そうすることで患者が、自身を価値のある人間と思うようになり、そうなれば怒りはおさまっていくとされています。
③取引
心残りなことをやり遂げるまでは生きていたい、生かしてほしいと願うようになり、これが運命や神(目に見えない存在)との取引です。
④抑うつ
体調が悪化するにつれて、死は免れられないと自覚し始めます。絶望感や喪失感を感じて抑うつ状態となり悲しむことができるようになれば、自身の死を受け入れるように変わっていくそうです。
⑤受容
死を受け入れた状態ですが、死を受け入れて幸せというわけではありません。むしろ感情がなくなったような状態と言うほうが的確です。家族は新たな治療を探すよりも、黙って側にいるだけのほうがいいと言われています。
スティーブン・ケイブの考える4つの話*₄
哲学者スティーブン・ケイブによると、人は死そのものを見つめることから避けてきました。つまり死に対する恐怖心が強いため、死を考えないようにしてきたと言われ、そのために死を否定することなら何でも信じ込んできたそうです。例えば不老不死の話。まさに死ぬことを否定しています。他にも復活した話など全ての文化に共通した内容の話があるので、それを4つに分類して、その1つずつの内容をみていきましょう。
不死を願うこと
古代より不老不死の薬などの話が、神話や伝説として語られています。死なないで永遠に生きる話です。現代で言えば、ホルモン治療や幹細胞、遺伝子操作など科学的な表現を使って、老化や病気を治せるように期待させます。しかしその願いは現代科学でも、まだ到底果たされそうにありません。
復活を願うこと
キリストが復活したように、復活して生き返る話です。キリスト教だけでなくユダヤ教やイスラム教にも復活の考えがあります。復活を現代の科学で表現すると、病気で死んだ遺体を冷凍し、科学が進歩したときに解凍して治療するという考えです。
魂として生きる
魂として生き続けるという考えで、大半の人が宗教の教えでもある魂を信じています。現代ではデジタルな表現が使われ、例えば自身をコンピューターにアップロードしてネットの中で生きていくのだそうです。本当の自分は脳の中に存在するとされているので、この考えも懐疑的とされています。
子孫、名誉などを残す
ギリシャの戦士アキレスがトロイ戦争で永遠の栄誉を得ました。このように遺産を後孫に残すことで、生きていくという考えです。子孫を残すと考える人もいれば、国家や部族の中の一部として生きるという考えの人もいます。
死を経験するために生きるわけではない
前述の4つの内容の話が、それぞれの時代に合わせて語り継がれてきました。それは人は死なないという考えを確証しているわけではありません。死に対する恐怖心に惑わされ、筋が通っていなくても信じようとしてきただけです。哲学者ヴィトゲンシュタインによると「私達は死を経験するために生きるわけではない」そうです。根深い恐怖心に私たちは無意識のうちに影響を受けてきましたが、そのことを知ることで人生を違うものとしていくことができるでしょう。
自身の生涯を1冊の本とする
物語の登場人物は、物語の中で自身が最後にどうなるかを知りません。物語の中で一つひとつの場面だけを知っているだけです。同じように、私たちも自身の生涯を1冊の本と考えてみてください。誕生から死までが記されている本。死はその本の外のことになります。本の外のことに怯えるより、本の内容を綴ることのほうが意義があります。厚さを気にすることもなく、ただ良い内容にすることだけを考えればいいだけのことです。
まとめ
高齢者より若者のほうが、死に対する恐怖心が強いという報告があります。しかし高齢者は死に対する恐怖心がないわけではありません。死について考えることはあるけれど、自身の死はまだ先のことという認識です。
死を宣告されたとき、患者は5段階の心理状態を経過することが多く、最後に死を受容したとしても、受け入れて幸せというより感情がなくなったような状態になります。
結局死そのものを見つめることは、どの年代でも怖くてできないわけで、死を見つめて怯えるよりいかに生きるかを考えたほうがよさそうです。哲学者スティーブン・ケイブが語るとおり、生涯を1冊の本として捉えてみましょう。終わりがあるからこそ、自身の人生にどういう意味があるのかを考えるのかもしれません。
*1ニュートン2020年7月号「死とは何か」
*2高齢者の生の価値観と死に対する態度 田口 香代子・三浦 香苗
https://core.ac.uk/download/pdf/268257623.pdf
*3死の受容と最後の成長ーキューブラー=ロスの死にゆく過程論の変容 奥山敏雄
file:///C:/Users/micuc/Downloads/JS_44-1.pdf
*4スティーブン・ケイブ/死について私たちが信じる4つの物語